他の都心再開発と違って、ここには駅直結の超高層ビルはない。代わりに大型のアートギャラリーを併設した複合施設や、建築模型専門のミュージアムがあり、屋外にはストリートアートが設置されている。エリア内には醸造所を併設したブルワリーレストランや、ベーカリーカフェ、家具店。それらが並ぶ水際のボードウォークは、格好のデートスポットであるだけでなく、週末には家族が犬を連れて散歩する姿も目立つ。都心回帰の流れの中で、周辺に暮らす人たちが増え、かつては郊外のものだった光景が、都心の水際でも展開されているのだ。
華やかなシンボル開発の一方で、「日本人は匿名空間を作ることにもすぐれている」と隈さんは指摘する。駅やコンビニエンスストアなど、機能を重視する建物がそうだが、中でもカプセルホテルは日本ならではの発明品といえる。
「カプセル」という建築形態は、昭和の高度経済成長時代に、黒川紀章が、「メタボリズム」で提唱したものだった。建築を都市の細胞とみなし、それを新陳代謝させることで建築に持続的な生命を与えるという考え方だ。
そこから生まれたカプセルホテルだが、建築の先端的な実験場というよりは、終電を逃したおじさんの宿泊所というイメージが強かった。しかし皇居そばに立地する「ナインアワーズ大手町」では、カプセルホテルを宿泊施設ではなく、「都市の道具」と再定義する。提供する機能は部屋ではなく「シャワー」「睡眠」「身支度」の三つ。仮眠とシャワーだけにも対応し、皇居周辺で人気のランニングステーションとしても稼働する。
「スリーピングポッド」と呼ばれるカプセルがハニカム構造で並ぶ建築は平田晃久の設計。無機的でいて有機的。匿名的でありながら記名的。そんな不思議なビジュアルは、世界地図の辺境に位置する都市東京の「ゆらぎ」にも通じる。
「平田さんのような僕の後続世代には、世の中で目立つという前に、自分が楽しいと思える仕事に取り組んでほしい」
そう語る隈さんが「東京八景」の掉尾(とうび)を飾る建築として選んだのは「路地尊」。「何だ、それ?」となる人も多いことと思うが、墨田区と住民が共同で整備する防災用の雨水利用施設のことで、これぞミニマル建築の極みだ。
少年時代の隈さんは、丹下健三が設計した国立代々木競技場を見て、建築家になると決めた。その少年が今、曲折を経た国立競技場の設計に携わったことで盛大なスポットライトを浴びている。
「僕の中に巨大で目立つ建築を作りたいという思いはない。人と楽しい関係を築けて、温もりのある建築。それこそが未来につながるものだと考えています」
(ジャーナリスト・清野由美)
※AERA 2020年1月20日号より抜粋