「初夢フェスin武道館」の幕が開き1曲目、清水(右)と森山良子はミュージカル「アニー」で歌われる「Tomorrow」の替え歌を披露。「積もろう、積もろう、ストレスそりゃ積もろう~♪」。歌い終えた清水は森山に「いつもありがとうございます。あなたでご飯を食べさせていただいております」(撮影/植田真紗美)
「初夢フェスin武道館」の幕が開き1曲目、清水(右)と森山良子はミュージカル「アニー」で歌われる「Tomorrow」の替え歌を披露。「積もろう、積もろう、ストレスそりゃ積もろう~♪」。歌い終えた清水は森山に「いつもありがとうございます。あなたでご飯を食べさせていただいております」(撮影/植田真紗美)

●小学生のときは親友をモノマネで笑わせた

 清水が生まれ育ったのは、「飛騨の小京都」と称され、江戸期の商家が立ち並ぶ岐阜県高山市。しっとりとした風格を見せる中心街の一角にあるジャズ喫茶「if(イフ)珈琲店」が、清水の生家だ。

「父はもともとバンドをやっていたみたい。音楽が好きで。70年代にジャズ喫茶ブームっていうのがあったんですよね。それに便乗したんじゃないかと思っているんですけど」(清水)

 父・郁夫はビッグバンドでウッドベースを演奏する音楽家で、地元でのライブでは1千人もの聴衆を集める人気ぶりだった。ジャズ喫茶は現在、清水の弟・イチロウ(46)が経営する。彼は父をこう評する。「ピアノが弾けて、ギターもできて、豪快で明るくて、横山やすしみたいなひと。傷つきやすそうなのもそれっぽい。姉と一緒で典型的B型でした」

 小学校でできた親友の「よっちゃん」は清水にとって憧れの存在だった。「クラスのマドンナ。明るい性格で、よく笑ってくれたんです。わたしが冗談を言ってウケると、すごく幸せだった」

 その「よっちゃん」こと平光美子(60)は、懐かしげに当時をこう振り返る。

「ミッチャンは教室の隅っこで、きのう見たドラマとか芸能人のマネをしてわたしたちを笑わせていました。わたしが『それ、似ていない』『おもしろい』って言うのが嬉しかったみたい」

 朝、平光が一緒に登校しようと清水の家を訪ねると、清水はまだ寝起きで、きまって寝癖がついていた。待たされるのはほぼ毎日。小学生の時の十八番は天地真理、中学に上がってからは桜田淳子、山口百恵、浅田美代子だ。「アイドルになりたいのではなく、ちょっとヒネって変なところをマネしてくるんです」(平光)。高校は別々に進んだが、週1回、一緒に図書館に行ったり、高山駅前の食堂「ちとせ」で焼きそばを頬張ったり。高山名物の朝市に出向き、2人で観光客のマネをしながら、旬の花や果物にいちいち驚いてみせた。

 清水にとって「芸の武器」となるピアノとの馴れ初め、それは小学生の頃だった。ただ、レッスンに出向いても、バイエルがもどかしく、ちっとも楽しくなかった。それよりも、当時流行していたCMソングやアニメの主題歌を弾くほうが性に合った。耳で聴き、その旋律を鍵盤でなぞり、和音を付け足していく。それを教室で披露した。

「何を演奏していたかなあ、鉄腕アトムのテーマは覚えていますけどね。演奏すると、友達がワーッと盛り上がる。驚かれる感じが気持ち良かった」

 注目され、周りに笑顔が広がっていく喜び。それに味をしめた清水が小学校4年生の時、ピアノの次に挑戦したのは、エロ漫画だった。当時、永井豪によるギャグ漫画『ハレンチ学園』が流行りまくっていた。これに乗らぬ手はない。

「女性の裸を描いて『うっふん、あっはん』って描いて見せたら、すごく皆に喜ばれたんです。『じゃあ、第2弾は何を描こう』。でも、脱いだその先がわからない。まだ子どもだから」

 漫画はやがて担任の先生に見つかり、職員室に呼び出された。人格者の先生は温和な口調で一言、「ちょっと口に出して読みなさい」。

 真っ赤な顔になった清水は泣き出しながら、自分で書いた台詞を朗読した。「うっふん、あっはん……」。先生はやさしく諭すように告げた。

「いま、恥ずかしかったでしょ。恥ずかしいことを描くんじゃないよ、わかった?」

●「矢野顕子のレコードを」届いたのは和田アキ子名盤

 以来、清水はエロ漫画家への道を諦めた。その直後、ドリフターズが一世を風靡した時には、カトちゃんのセクシー決め台詞「ちょっとだけよ」のマネが男子の間で大流行。その光景を、清水は苦々しい思いで眺めていた。

「表情が全然なっていない。自分だったら……、そう思うんですけど、やったら絶対引かれる。『男と女の壁ってあるのね』って思っていました」

 拓郎、陽水。入りにくい電波の深夜放送を通じフォークソングに親しんでいた清水が、高校に進んだ年に出会った衝撃、それは矢野顕子だった。

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