プロモントリー・サミットのセレモニーは午前11時から。「渋滞するので早めに行ったほうがいい」とのアドバイスがあり、オグデンを早朝スタートし8時前にはプロモントリー到着。おかげで機関庫を出庫しデルタ線で入れ換え中のユニオン・パシフィック鉄道119 号機関車(手前)と、セントラル・パシフィック鉄道60号のツーショットが撮影できた。この直後、道路は本当に大渋滞した■オリンパスOM-D E-M1 MarkII・40~150ミリF2.8+MC-14・絞りf9・ISO800・AE・-0.7補正・JPEGスーパーファイン
プロモントリー・サミットのセレモニーは午前11時から。「渋滞するので早めに行ったほうがいい」とのアドバイスがあり、オグデンを早朝スタートし8時前にはプロモントリー到着。おかげで機関庫を出庫しデルタ線で入れ換え中のユニオン・パシフィック鉄道119 号機関車(手前)と、セントラル・パシフィック鉄道60号のツーショットが撮影できた。この直後、道路は本当に大渋滞した■オリンパスOM-D E-M1 MarkII・40~150ミリF2.8+MC-14・絞りf9・ISO800・AE・-0.7補正・JPEGスーパーファイン
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  今から150年前の1869年5月10日、アメリカ大陸の東西からそれぞれ建設が進められていた鉄道が、ユタ州のプロモントリー・サミットで出合い、アメリカ初の大陸横断鉄道が完成した。今年はそれから150年の節目の年に当たり、「MAY10(メイ・テン)」、5月10日を中心に、ユタ州プロモントリーと、オグデン・ユニオン・ステーションなどで、ヘリテージ・フェスティバルが大々的に開催された。

【写真】澄み渡る青空のもとで再現された大陸横断鉄道開通式典

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 そこで私は5月10日にピタリ照準を合わせ、空路でユタ州の州都ソルトレークシティーに降り立ちレンタカーを駆ってオグデン入りした。そしてユニオン・ステーションのフェスティバルを楽しんだ翌朝、プロモントリーのゴールデンスパイク国立史跡公園に向かったのである。

 150年前、いや正しくはその数年前にプロモントリーを目指したのは、ネブラスカ州オマハを起点に西部に向かって建設を進めていたUP(ユニオン・パシフィック)鉄道と、カリフォルニア州サクラメントから東部に向かっていたCP(セントラル・パシフィック)鉄道であった。

 UPは62年7月1日にリンカーン大統領によって正式に認可された国策会社だったが、CPはカリフォルニア州のスタンフォード知事を社長とする民間企業だった。両鉄道は69年5月7日、ユタ州のプロモントリー・サミットで出合い、あとレール1本を残して、翌8日の完成祝賀式典を待つばかりだったという。

 ところが、UPの祝賀列車は給料遅配に抗議する作業員によって止められ、さらに嵐で立ち往生となった。一方、CPでは、ピッカピカに磨き上げられた祝賀機関車「29号アンテロープ」が、中国人労働者が落とした丸太によって破損し走行できなくなり、たまたまリノに停車していた「60号ジュピター」がピンチヒッターとして抜擢され、予定より2日遅れて、5月10日の開業式となったのである。

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