芸能人は政治的な発言をすべきではない、という風潮が支配的な日本。菅原文太はちがった。特に晩年は政治的な発言で注目された。坂本俊夫『おてんとうさんに申し訳ない 菅原文太伝』は、2014年に81歳で他界したそんな希代の俳優の生涯を出演作とともに追ったファン必見の評伝である。
1933年、宮城県仙台市に生まれた菅原文太は地元の名門、仙台第一高校から早稲田大学に進学するも、学費を払えず2年で除籍。アルバイトではじめたファッションモデルを経て、58年、新東宝の俳優になった。が、新東宝は倒産。移籍先の松竹でもうだつが上がらず、ようやく日の目を見るのは68年、東映に移ってからだった。
菅原文太をスターにしたのは広島のやくざの抗争を描いた実話に基づく『仁義なき戦い』シリーズと、愛川欽也と組んで大ヒットした『トラック野郎』シリーズだ。73年から74年にかけて公開された『仁義なき戦い』はしかし全5作で、75年から79年まで続いた『トラック野郎』は全10作で打ち切りとなった。<同じものはあんまり長くやらないほうがいい>と文太自身は語っていた。
そして晩年の文太は徐々に映画から遠ざかる。理由のひとつはデジタル映像の普及だったらしい。<デジタルとフィルムは全然別のものだからね。同じ映画とは俺は思ってないんだよ>
社会的な活動と両立させた時期を経て、75歳だった2009年には農業に軸足を移すと宣言した。<俳優業はそろそろ引き上げ時だなと思っていてね><老い先短い年齢になって、少しぐらいは人の役に立ちたいと思ったんだ>
何かもう、いちいちカッコイイ菅原文太。でも彼の行動に矛盾はない。脱原発を訴え、辺野古の新基地建設に反対し、特定秘密保護法に異を唱える。<役者バカという言葉がありますが、映画界に足を踏み入れてから、その役者バカにだけはなりたくなかった>という人の真っ当な人生。政治的な発言でとやかくいわれたくらいで、ひるむな芸能関係者。我々には菅原文太がいるじゃないか。
※週刊朝日 2019年7月5日号