『B・D・T〔掟の街〕』が上梓されたのは1993年だから、もう四半世紀も前のことになる。私立探偵のヨヨギ・ケンが失踪人を探すというメインストーリーはハードボイルドの定石だが、この場合は近未来の東京を舞台にしているのがキモであった。不法滞在の外国人が社会問題となっている時代であり、身寄りのない混血児「ホープレス・チャイルド」が犯罪者となり、東京は無法地帯と化しているとの設定なのだ。だから、メインストーリーがハードボイルドふうに展開しても、通常とは少し違うのも当然で、いやあ、面白かった。25年たってもまだ印象に残っているほどである。もう一つ覚えているのは、大沢在昌がSFを書くのか、と驚いたことだ。
ここに、1995年の『天使の牙』を並べれば、20年以上前の当時、この作家が何を考えていたのかが浮かんでくる。この『天使の牙』は美女の脳を移植された女性刑事を主人公にするもので、脳が移植されてもはたして自分は自分でありうるのかという命題を巧みなストーリーの中に描く傑作だった。この『B・D・T〔掟の街〕』と『天使の牙』は、純粋なSFというよりも、SF的シチュエーションを導入したエンターテインメントで、問題はなぜ当時、大沢在昌がこのような小説を書いたのか、ということだ。
『B・D・T〔掟の街〕』と同年には、薄井ゆうじ『透明な方舟』、北村薫『スキップ』、鈴木光司『らせん』、西澤保彦『七回死んだ男』などが書かれている。同年に刊行された北川歩実『僕を殺した女』、東野圭吾『パラレルワールド・ラブストーリー』をここに並べてもいい。その少し前には浅田次郎『地下鉄に乗って』もあった。この年、いっせいにSF的シチュエーションを導入したエンターテインメントが書かれたことについて、「このとき大沢在昌を始めとして、幾人かの作家がSF的アイディアとシチュエーションを選択したことは、リアリズムに縛られた物語を開放し、現代エンターテインメントに躍動感を与えた」――と以前に書いたことがある。九〇年代半ばの、あの興奮を忘れた人が多いようなので改めて書いておきたい。『B・D・T〔掟の街〕』から25年、大沢在昌がSFの世界に帰ってきた。その名もずばり、『帰去来』だ。前置きが長くてすみません。
ヒロインは志麻由子。警視庁刑事部捜査一課の巡査部長である。連続殺人犯が出没しそうな場所に囮として待機するのがいまの仕事だ。犯人はいきなり現れる。「びっくりしたか」。耳元でしわがれた声がして、喉に固い感触のある輪が食い込んでくる。雨が顔を激しく叩く。張り込み班の同僚たちはどこにいるのか。早く助けてくれないと間に合わない。息が苦しい。もうダメだ。視界が暗転し、すべてが闇に沈む。