1月25日より、大寒の次候「水沢腹堅(すいたくあつくかたし/さわみずこおりつめる)」となります。流れる沢の水も厚く硬く凍りつく、一年でももっとも寒さのつのる大寒の時期をあらわしています。気温の低い一月下旬から節分の頃までは、花の乏しい時期。初冬を彩っていた寒椿やサザンカ、あるいは枇杷の控えめな花の時期も過ぎ、かといって梅が咲きだすのももうちょっと先。そんな花が途絶えてしまったような季節にもよく見ればひっそりと咲きつぐ花もあります。

一年で一番寒い時期
一年で一番寒い時期
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がらんとした真冬の雑木林。そんな環境を好む寡黙な奇花あり

葉の落ちたがらんとして明るい冬の雑木林。枯葉の積もった林床をよく見ると、ハート型の常緑の小さな葉が生え出ていることがあります。葉をかきわけると地面にへばりついてカキのへたのような地味な「花」が。それが初冬から春までの寒い中、たくましく咲きついでいるカンアオイ(寒葵)の花です、この名を聞いてすぐにその植物が思い浮かぶ方は、相当な植物好き。どんな植物かまったくご存じない方がほとんどなのではないでしょうか。時代劇の「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」でおなじみの、徳川将軍家の紋所「三つ葉葵」を思い出してください。その「アオイ」とは、カンアオイの一族であるフタバアオイのことで、京都の下賀茂神社の神紋として「葵祭り」の主役ともなっているあの草です。
カンアオイ属(寒葵属 Asarum)は、コショウ目ウマノスズクサ科に属する多年草。世界でも特に東アジアから東南アジアにかけての分布が多く、日本には5節・59種が自生しています。フタバアオイやウスバサイシンは落葉しますが、属名ともなっているカンアオイ(Asarum nipponicum)、別名カントウカンアオイ(関東寒葵)をはじめ、多くは常緑性。カントウカンアオイは本州の関東地方から近畿地方、四国のもっとも広域に分布し、晩秋に暗紫色の花をつけると越冬して、寒い季節の間中たくましく花を咲かせ続けます。地表際の葉腋からごく短い柄を出し、柄に一つずつ花をつけます。地表すれすれに咲く小さな花は、たいてい枯れ草などに埋もれていて、人が気づくことはめったにありません。わざわざかきわけて見つける人は、よほど奇特な変人でしょう。
放射状に三枚の花びらがあるように見えますがこれは萼片で、萼筒の口輪は白っぽく、その真ん中にぽっかりと穴が開き、筒型の萼筒のなかに雄しべと雌しべが収められています。花の内部、内側の壁はワッフルの凹凸のような網目状の隆起線が走っていて、隆起線の数により亜種の区別がつけられる場合もあります。見た目のイメージと違い、花からはよい芳香がします。
常緑の葉には、雲形のランダムな明るい斑模様が入ります。シクラメンの葉を思い出していただけるとわかりやすいかと思います。こうした斑模様の美しさと花の奥深い美が愛され、江戸時代以来カンアオイの仲間は植物マニアに偏愛され、古典園芸植物として不動の人気を得てきたのです。

カンアオイ
カンアオイ

八千年の春と秋。究極のスローライフプランツ?

そのわりにはカンアオイの生態、特に受粉・生殖システムは、あまり解明されていません。地上すれすれに花を咲かせることから、風媒花ではなく地上性昆虫や生物による虫媒花であり、種子にアリをひきつけるエライオソームが含まれることから、アリが受粉と種子の散布の大きく関わっていることは確かなようですが、他にも、カタツムリやナメクジ、ヤスデ、ワラジムシなどが散布に関わっているらしい、ともいわれています。東京都多摩丘陵地域の固有種タマノカンアオイや、伊豆地方の固有種アマギカンアオイでは、小さなキノコバエが受粉の媒介者として働いていることが解明されています。キノコバエはカンアオイの花筒の中を動き回るのですが、このとき、内壁のワッフルのような網目状の襞に卵を産み付けるのです。カンアオイの内壁の網目襞は、キヌガサダケなどのキノコに網目やひだに擬態して、キノコが好きな昆虫たちを引き寄せているのではないか、ともいわれています。
さほど移動性の高くないこれらの小さな虫たちに依存したカンアオイ属の環境拡散はきわめて緩慢です。そしてカンアオイは発芽から花をつけるまで約10年ほどもかかるゆっくりとした成長をするため、一説では一万年かけて5kmほど移動拡散する、と計算されています。まさに「荘子」逍遥遊に描かれる、「八千年の春と八千年の秋をめぐる大椿」のミニチュア版のように、カンアオイは少しずつ少しずつ、見えないほどに変化をしながら、長い時間をかけて日本各地でさまざまな変化をしながら、進化し続けたのです。
また、森林の樹木が育ち、大きな照葉樹や針葉樹が成長して林床が暗くなると、カンアオイは育ちません。笹やシダが茂るようになっても、駆逐されてしまいます。彼らは常緑樹が生えた明るい林床で、適度な日光と湿度が保たれた場所でしか生育できないのです。
そして、この弱弱しく小さな植物に大きく依存して、切っても切れないほど結びつきの強い蝶がいます。日本在来の蝶の中でも、おそらくもっとも人気が高く、マニアには「春の女神」とあがめられるギフチョウです。

カンアオイの葉に産み付けられたギフチョウの卵
カンアオイの葉に産み付けられたギフチョウの卵

ひそやかにゆるやかに…カンアオイとギフチョウは穏やかな里山の楽園が育んだ

ギフチョウ(Luehdorfia japonica)は原始的なアゲハチョウ科のチョウで、本州の中西部の低山・里山だけに分布する日本固有種です。一年に一度、早春の3月下旬ごろから初夏ごろの短い期間にしか姿を見せないため「春の女神」と呼ばれています。開張幅は5~6.5センチほど、前翅は薄黄色と黒の縞模様で、かつてはこの模様から「ダンダラチョウ」という名でも呼ばれていました。胴体には長い毛足の柔毛が密生し、全体にふさふさした印象で、やや横長のフォルムも、あまりアゲハチョウの仲間という感じがしません。しかし、後翅の下部分は波型の深い切れ込みと、黒、赤、青の配色による孔雀紋様がはっきりあらわれ、アゲハの仲間であることがよくわかります。成虫はカタクリ、ショウジョウバカマ、スミレ、サクラ類などの仲春の花を吸蜜しますが、幼虫が食料とするのはただ一択。カンアオイの葉なのです。カンアオイ、あるいはヒメノカンアオイの常緑の葉に、一粒1ミリほどの小さな卵塊を産みつけます。幼虫は黒いケムシ形態で、終齢までカンアオイの葉を食べて成長します。4回脱皮して体長3.5cmほどに成長し、初夏に落ち葉の裏にもぐりこみ蛹になってそのまま休眠、翌年の春に羽化します。つまり蛹の期間は約10ヶ月。非常に長い期間眠り続けるのは、まるでゆっくりとした生き方を選択した食草であるカンアオイに倣うかのような生態です。
日本にはギフチョウの仲間で、北部の亜寒帯の広葉樹林に生息するヒメギフチョウ(Luehdorfia puziloi)がいますが、こちらは朝鮮半島や中国とも共通種で、日本列島に住み着いたヒメギフチョウが、日本固有種のギフチョウに分化したものと考えられています。ギフチョウの仲間はかつて東アジアから東南アジアの森林が広く落葉樹の森であったころに進化繁栄した種族であると推測されています。幼虫の食草であるカンアオイも、そうした環境に適応して進化しました。やがてアジア全体が温暖化し、亜熱帯林や照葉樹林に覆われるようになると、ギフチョウは広葉樹林とともにしだいに北へと追いやられ、ヒメギフチョウは亜寒帯のミズナラの多い落葉広葉樹や、カラマツ林などに寒冷適応して生き残りました。ヒメギフチョウの食草は、カンアオイ属の中でも落葉性のウスバサイシンやオクエゾサイシンで、ヒメギフチョウとサイシンの仲間は手を携えて寒冷適応したといえます。
そうした中で、日本列島に住み着いた人間たちが水田稲作をはじめます。人間たちが急峻な河川を灌漑し、うっそうとした森を薪や炭、萱の生産、資源として活用しながら明るい里山雑木林へと変えていったため、人里近くではカンアオイとギフチョウが好む明るい広葉樹林が二次的に創造されたのです。穏やかに作り変えられた循環型の環境である里山は、カンアオイとギフチョウにとっての楽園となり、繁栄することになりました。
けれども、スギ・ヒノキの植林による針葉樹林の拡大、高度成長期ごろからの里山の荒廃と開発による減少によって数を減らし、各地で絶滅、絶滅危惧種となってしまっています。カンアオイが育ち、ギフチョウが舞い飛ぶ環境は、いつしかほとんど消えてしまったのです。
私たちの先祖は急峻な山岳の多い日本の土地を、粘り強く穏やかな自然環境に変えてきました。けれども明治時代以降は、スピードや効率、生産性を追い求めるあまり、国土を荒廃させ続けてきました。近年の自然災害には、そうした荒廃がもたらしたものもあるのではないでしょうか。自然と人間との「共生」の形として理想ともいえる里山。小さな弱いカンアオイにとっての楽園は、私たち人間にとってもきっと楽園なのではないか、と思えてなりません。

春の女神、ギフチョウ
春の女神、ギフチョウ