師走に入り、街の雰囲気が一年で最も慌ただしくなっていますが、東京を代表する大都市・渋谷では100年に一度とも言われる駅前の大規模な再開発が進行中です。
2020年のオリンピック、パラリンピック開催を前に今後十数年は、東京全体が大規模に再開発され、さらに大きく姿を変えていくことでしょう。
この変化の大きな変化の時期、都市の姿をじっくり観察してはいかがでしょうか。
今回は、都市の変化の痕跡を面白がる、1980年代に流行した文化現象(超芸術)「トマソン」をご紹介します。
今和次郎「考現学」と赤瀬川原平「トマソン」
昭和初期には都市を観察する「考現学」が今和次郎(こん・わじろう)によって提唱されました。「考古学」ならぬ現在の都市を観察しようというのが「考現学」でした。
「考現学」が提唱されたきっかけとして、大正時代の関東大震災がありました。
再開発や自然災害などによって都市が大きく姿を変えるときには、人々の暮らしぶりは大きく変わらざるを得ません。古い建築をなんとか補修して使えるようにしたり、大きく破損して空いた穴をとりあえず塞がなければならなかったり……。そんなとき、あたかも都市の傷口のようにして、正体不明の何かが取り残されてしまうのです。
こんな都市の変化の痕跡を面白がる、1980年代に流行した文化現象「トマソン」をご存じでしょうか。
都市の不思議な「超芸術作品」。ブームとなった路上観察学
「トマソン」は、芸術家・小説家の故赤瀬川原平氏が「発見」しました。
1980年代はバブル経済が膨らんでいた時期。東京もあちこちで再開発が行われていました。そんなとき、街角で不思議な物体が目につくようになりました。
のぼったものの、入り口がふさがれていて降りてくるだけの「純粋階段」……
地上げされて廃業した銭湯の煙突……
その下にあった窓がなくなってしまって取り残されたひさし……
何かの都合で外階段が取り払われたもののビルの外に向かって残っているビルのドア……
かつてあった隣家が取り壊されたため、壁に残ってしまった隣家の屋根の輪郭……
これらは、改築などの理由で、役に立たなくなってしまった建物の一部が、ぽつんと孤立して残っている奇妙な痕跡です。
これを赤瀬川氏が考現学の都市観察の眼差しを参考に、「超芸術トマソン」と名づけたのです。
そのような物体は、もはや無用になっているにもかかわらず、むしろ無用であるからこそ不思議な存在感とともに、まるで現代美術のオブジェのように存在していました。そこには特定の作者もいませんし、誰かが「作品」として制作したものでもありません。だから、「超芸術」なのです。無用になったにもかかわらず、ていねいに補修されたりしていることも多く、ほのかなユーモアも感じます。
三振ばかりの「無用の存在」アメリカ人大リーガー・トマソン
「トマソン」は当時巨人軍に招かれたものの、三振ばかりで「無用の存在」であったアメリカ人大リーガーの名前にちなんでいます。
このアイディアは、1986年に「路上観察学会」として発展し、一種のブームになりました。現在でもフェイスブックには「超芸術探査本部トマソン観測センター」のページがあります。
※こちらは→トマソンのコレクションページ
1980年代とは比較にならないほど、日本の都市は均質化してしまったとしばしば言われます。閉ざされたシャッターばかりが目につく地方の商店街も多くあります。しかし、人々の生活は続いています。そんな生活の痕跡が時として「トマソン」を生み出すのです。
── 都市観察といっても、結局はそこに住みついている人間の生態とその細部が興味を引くのでしょうし、トマソンが観察されるのは、再開発の時期とばかりは限りません。
人間がそこに生きている限り、どんな時代にもめまぐるしく変化し続ける都市、それは飽きることのない、ワンダーランドです。