アサヒグループホールディングス 小路明善会長/物質的な豊かさと共に心の豊かさや幸福感も大切にするべきとして繰り返し口にしている「Well-being」。経済界で同調者が増え手応えを感じている(撮影/狩野喜彦)
アサヒグループホールディングス 小路明善会長/物質的な豊かさと共に心の豊かさや幸福感も大切にするべきとして繰り返し口にしている「Well-being」。経済界で同調者が増え手応えを感じている(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年5月1-8日合併号では、前号に引き続きアサヒグループホールディングス・小路明善会長が登場し、思い出の地・青山を訪ねます。

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 東京・青山に、青山学院大学法学部で4年、朝日麦酒(現・アサヒビール)の労働組合本部の専従役員で10年弱、毎日のように通った。計14年。故郷の長野県松本市で高校を卒業するまで過ごした年月に次ぐ長さで、第2の故郷のようだ。

 ことし2月、労組本部の事務所が入っていた南青山のビルがあったところを、連載の企画で一緒に訪れた。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れて多様性に触れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

■「夕日ビール」と揶揄されたころ 苦難続いた10年

 国道246号(青山通り)の表参道交差点から東の赤坂方面へ歩き、すぐ右折して路地に入り、ほどなく足を止めた。

「ここに、朝日麦酒労働組合の本部が入っていた3階建ての小さなビルがありました」

 1980年3月、28歳で休職し、労組の専従役員になった。翌年、ビジネスパーソン人生で『源流』になった出来事に、出遭う。

 辛口生ビール「アサヒスーパードライ」が発売され、大ヒット商品となる6年前。朝日麦酒は市場シェアが落ち、酒販店や飲食店で「朝日ならぬ夕日ビール」と揶揄され、悔しい思いが続いていた。経営が苦しいなか経営陣は人件費の削減に、約530人の希望退職者の募集に踏み切った。会社の苦境を知る労組も受け入れ、本部役員らが対象となる年長の社員たちに会って、退職を促すような会話を重ねる。自分も、青山から職場を巡った。

 忘れることのない言葉を聴いたのは、東京・隅田川にかかる吾妻橋の脇にあった会社で最も古いビール工場だ。相手は50代の従業員。会社の苦境と希望退職に伴う恩典を説明したが、退職を促すような口調になっていたのかもしれない。静かに聴いていた相手が、真っ直ぐ目を向けてきて、口を開く。

「分かった、私は辞めていく。でも、声の大きい人の話を聴くだけではなく、声なき声、コツコツと真面目に仕事をしてきたのに辞めていく人たちの声を聴いてくれ。これは俺の『遺言』だ」

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