母校へ来るたびに思い出す幼稚園。賛美歌を歌ってキリスト教に触れクリスチャンにはならなかったが、それからの人生の大事な一歩だった(撮影/狩野喜彦)
母校へ来るたびに思い出す幼稚園。賛美歌を歌ってキリスト教に触れクリスチャンにはならなかったが、それからの人生の大事な一歩だった(撮影/狩野喜彦)

 胸の奥まで染み込んで、『源流』が生まれた。その通りだ。多くの場合、どうしても声の大きい人たちに耳目が集まり、その言い分だけが残る。でも、多くは語らなくても真面目に仕事をしている社員によって、会社は成り立っている。その声を、大事にしなければいけない。社長になったときに「社員は会社の命だ」と言い切ったのも、その思いからだった。

■社長に教わった「熱気球論」の人材育成の秘訣

 33年ぶりに労組本部があったところを訪れ、振り返ると、樋口廣太郎さんが浮かんでくる。主取引銀行で副頭取を務め、朝日麦酒の社長になったのは86年3月、労組の書記長だった。樋口さんは経営再建の一環として新製品に力を入れ、在庫期間が長くなったビールは引き上げて廃棄する、と決めた。それを労使協議の場で「億円単位のコストがかかるし、業界に例がない」と指摘すると、「市場をよくするための経営判断に、何を言うか」と激怒された。

 退かずにやり合った相手が、終わるとそばにきて肩を叩き、「きみも私がやりたいことの意味をわかっていながら、書記長の立場として言ったのだろう。理解してくれよ」と言う。烈火の如く怒るが、それ以上にフォローするトップ。ファンが多かった。

 その樋口さんから、三つの言葉を教わる。一つは「前例踏襲をするな」だ。古くなってきたビールの廃棄ではないが、それまでのやり方を続けていてはダメ。常に新しいやり方で進めるのが、変化する社会への対応だとの趣旨で、「前例は自らがつくるもの」とも言われた。

 二つ目は「人間熱気球論」。人間は心の奥に「向上したい」という気持ちがあるから、経営者や管理職はその気持ちを阻害している要因を取り除いてあげれば、気球のように自然に上がって成長していく。そう説かれ、「なるほど」と頷いた。

 もう一つは「チャンスは貯金できない」で、聞いて「貯めることもできるのでは」と首をひねった。でも、樋口さんは「偶然は人生で二度とこないから、貯金はできない。大事なのは、チャンスがきたらいかにものにするか、常に考えていることだ」と言った。アサヒグループホールディングス(HD)の社長になって、5年間に2兆5千億円を投じて欧州、中東、豪州のビール事業を買収した胸中に、この言葉があった。

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