映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』DVD)
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『ザ・ウォール』ピンク・フロイド
『ザ・ウォール』ピンク・フロイド
ロック・バンドZELDA(ゼルダ)の楽屋での小澤亜子(ドラム)と高橋佐代子(ボーカル)。左側が小澤。後ろで写真を撮っているのが小熊一実
ロック・バンドZELDA(ゼルダ)の楽屋での小澤亜子(ドラム)と高橋佐代子(ボーカル)。左側が小澤。後ろで写真を撮っているのが小熊一実

 音楽映画を、ライヴハウスの大音量で、スタンディングで見ることも可能という上映会がある。なかなか自宅では大きい音で、しかも大画面で見ることができないので、こういう企画はありがたい。そこで映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』を上映するというので、書いてみたい。

 この映画、もともとはピンク・フロイドの1979年発表の『ウォール』というアルバムを映画化したものである。アルバムの『ウォール』は、全英3位・全米1位を記録し、全世界で3000万枚以上の売り上げを記録した。

 映画の『ピンク・フロイド ザ・ウォール』は1982年にイギリスで製作された。主演はロック・バンド「ブームタウン・ラッツ」のボーカル、ボブ・ゲルドフ、脚本はピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ、監督はアラン・パーカーだ。わたしは監督のアラン・パーカーの処女作『小さな恋のメロディ』(1971年)を観ていたので、驚くと同時に「なるほどな」と思ったことを覚えている。

 映画『小さな恋のメロディ』は、幼い少年少女の初恋と大人の感覚のずれを描いた映画だった。少年と少女は、ただお互いを好きだから、ずっと一緒にいたいから、結婚をしようと思うのだけれど、大人たちは「なんという破廉恥な」と大騒ぎするという話である。主人公の二人を演じたマーク・レスターとトレイシー・ハイドも人気者になったが、わたしにとって大きいのは、この映画でビー・ジーズとクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの音楽を知ったことだ。だが、この映画の話題は、別の機会に話そう。

 話を戻すと、アラン・パーカーは最初から、映画と音楽の関係をわかっている監督だったのだ。ほかにも、映画『ダウンタウン物語』では、カーペンターズの《雨の日と月曜日は》などの作曲者としても知られるポール・ウィリアムスの音楽を使い、『フェーム』でも音楽とダンスをテーマにしている。
 
 映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』が発表された1982年、わたしは株式会社ぴあで仕事を始めていた。その頃、ぴあ株式会社が発行していた情報誌「ぴあ」は、当時の調査で、100%の大学生がその名を知っているというくらいポピュラーな情報誌だった。

 インターネットなどなかったあの時代、どの映画館でどんな映画を上映しているのか、好きなアーティストのライヴは、いつ、どこで開催されるのか、情報誌「ぴあ」で探すのが一番効率がよく、確実だった。

 そのぴあが情報誌だけに収まらず、街の中に情報発信基地を作ることになった。それはPMO(ぴあ・メディア・オデッセイ)と名付けられ、新宿アルタ、池袋西武、六本木WAVEに設けられた。当時、開発が進められていた日本電信電話公社(今のNTT)の「キャプテンシステム」のショー・ルームの役割を果たしていた。まだ、インターネットが現れる前の話だ。

 キャプテンシステムとは現在のインターネットの走りのようなもので、紙媒体ではなく、通信網を使ってモニターで情報を検索するシステムだった。ぴあの創設者にして代表取締役の矢内廣は、このメディアの出現を脅威に感じた。このようなものが現れたら、印刷媒体であるぴあの存在意義はなくなってしまうのではないか、と。そして、矢内の取った行動は、このキャプテン・システムに自ら参加することだった。

 このキャプテン・システムを実際に操作できる場所として、上のPMOが設置されたのだ。そのなかでも新宿アルタの5階にもうけられたPMOには、キャプテン・システムに加えて、当時現れてきたMTVも紹介していた。ビデオ・デッキとレーザーディスク(LD)を備え、海外で作られた最新のMTVをビデオとLDで紹介した。デュラン・デュランやDEVO、デヴィッド・ボウイなどのプロモーション・ビデオだ。

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