「お金は要らないからね。決して多くはないけれど、僕は自分の仕事で稼いでいるから。ユウイチに、自分の目でヨハネスブルクを見てほしいから、僕はこうやってこの街を紹介しているんだ。もし嫌だったら、嫌と言ってほしい。他に見たい場所があれば、臆せず聞かせてほしい」
ありがとうという言葉しか出てこなかった。しっかりと見て、日本で確かに伝えることでしか恩返しできないと思い、私は取材に集中した。
2013年、マリ北部の主要都市がいったん奪還されたころ、隣国のブルキナファソから、そろりそろりと様子を見ながらマリの首都バマコに入った。人々の様子を見ながら街中を歩いていると、カメラバッグを肩から下げて写真を撮りながら歩く白人男性を見かけた。眉間にしわを寄せた、気難しそうな感じのする人だった。だいぶ歩き疲れた私は、宿まで乗り合いタクシーに乗って戻ろうと車を止めると、その男性も一緒に乗り込んできた。こんにちはとあいさつをすると、彼は目もあわせずにうなずくだけだった。
私には、彼が観光客には見えなかったため、ここで何をしているのかが少し気になっていた。自分のカバンからカメラを出し、「同じ仕事かもしれませんね」と再び話しかけると、「ジャーナリストか?!」と、少し驚いた様子で、自分もそうだと反応を示した。
これからどこへ向かうのかと聞かれ、まだ計画を思案中だと答えると、「北へ進むのならば、フィクサーが必要だ。もしよければ、電話番号を教えてあげよう」と彼は言った。「ガイド」という言葉は何度も聞いてきたが、「フィクサー」は初めてだ。彼がここで言うフィクサーとは、取材をする先々で、現地の人々ともめ事が起こらないよう、取材者と取材を受ける側との間に入って、その都度交渉や調停を行う役割を担う人のことをさす。自分が、紛争の起こっている地へと進もうとしていることを、感じさせられた言葉だった。
その男性からの申し出にありがたく応じ、メモ帳に、そのフィクサーの名前と電話番号を書いてもらった。同国北部でジャーナリストのフィクサーをしている中でも、最も仕事のできる男らしい。
このジャーナリストがタクシーから降りた後もしばらく、私はメモ帳の電話番号に、じっと目を落としていた。フィクサーを雇わなければならないような取材を私ができるのか、まるで自信を持てなかった。フィクサーを雇わなければ入っていくことのできないコミュニティーがあると思うと、なんだか残念な気持ちになった。
結局この年、マリ北部の深くへと入っていくことは叶わなかったが、マリ中部のモプチで観光ガイドをしているハミドゥと出会い、彼にさまざまな話を聞き、彼とともに多くの場所と人を訪ねた。モプチの町を去るころには、互いに仲間と感じられる関係になっていた。
私にとってのハミドゥは、大切な取材協力者ではあるが、彼をフィクサーと呼ぶことにはかなりの抵抗がある。私たちを見て、「君のガイドは……」と呼ぶ人もいるが、ハミドゥは「私のガイド」ではない。私にとってのハミドゥは、まずなによりも先に、一人の友だ。