
「女の子」より「一人の独立した人間」
――父・角栄氏から、政治家になる上でどのような教育を受けてきたのでしょうか。
私が中学生になると、父は、「明日は大事な会合があるからついてきなさい」「家に海外から賓客が来るから一緒におもてなしをしなさい」などと、ことあるごとに私を付き添わせました。明日試験があると言っても、「そんなものよりためになるから」とお構いなし。
私には正法(まさのり)という年子の兄がいて、私の真紀子という名前は訓読みすると「まさのり子」なんです。でも兄は幼いときに病気で亡くなってしまった。一人っ子になった私は、女の子として可愛がられるより、一人の独立した人間として育てられました。宴会の前座で、父は私のことをよくこう紹介したものです。
「これは女の形をしていますが、男だろうが女だろうが人間として社会で通用するよう、目的を持って教育しています」
私の結婚が決まったときは、夫となる直紀に対して、「真紀子に掃除や料理は教えていないから、焦がしたりしても文句を言われては困るよ」なんて釘を刺していました。私、本当はお料理をしている時間がこの世で一番好きなんですけどね(笑)。
――昨年、AERAが「次の首相になってほしい女性政治家」のアンケート企画を行った際、3位に名前が挙がっていました。停滞した自民党政治を打破してくれそうな“大物”として、政界復帰を待望する国民もいるようです。
私もよく言われるんですよ。朝に散歩をしていると、近所の人から「もう一回国会議員になってください」なんて声をかけられます。この間もタクシーの運転手さんから、「田中角栄みたいな政治家が今の日本には必要だ。代わりに娘を総理にしよう」なんてお客さんが話していた、と言われました。
父が政界にいた当時はすごく批判もされたし、つらかったと思います。父の目が黒いうちは、その功績が認められる日は来ませんでした。今ごろ私がその恩恵を受けて評価していただいているのはありがたい半面、困る。今の私は主婦です。この時代に合った、未来志向の政治家が出てこなければなりません。