しかし、沢田研二は60年代から長髪、フルメイク、舞台装置ばりの演出といった革新的ビジュアル性で大衆の感覚に挑み、音楽性の面でも先述のような最新流行や、新世代の才能を積極的に起用。

  冒険に冒険を重ねた上で、ソロ歌手としてシングル総売上歴代1位(82~91年)という結果をおさめている。あえて王道を歩まず、自ら切り開いて音楽界、芸能界の頂点に至ったスターなのだ。

「マイナーなことをメジャーで」

  元々は沢田の兄貴分・内田裕也の言葉のようだが、その発想は独創性に乏しいと指摘される日本の風土では金言と言えるのではないだろうか。(本文中敬称略)

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