
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年8月11日-8月18日合併号より。
* * *
2008年5月、大分県・由布院の温泉観光協会会長のときだ。地域住民でまとめた「湯の坪街道周辺地区景観計画」を、地元の由布市へ出した。湯の坪街道は、年月を積み重ねた暮らしを感じさせる建物が残る、由布院の「まち」を東西へ伸びる道だ。
街道に面した建物は道路から1メートル下がり、高さは原則として8メートル以下にする。計画の内容は、道路沿いの店や住宅が、ルールはなくても守ってきたことだ。そこにできる空間には、クヌギやヤマザクラなどの木を植えた。ところが、2000年ごろから、この「暗黙のルール」が守られなくなっていく。
長く保養のための温泉地として、ほとんどの客は宿泊した。父・溝口薫平氏らの世代が1970年代初めにドイツの温泉地バーデンバーデンを視察して得た「静けさ・緑・空間」という由布院の在り方は、「外」からやってくる観光客にとってだけでなく、「内」に住む住民たちにも宝だった。その底に、両者がともにあることにこそ価値があるという「生活観光地」の視点がある。
だが、温泉人気に乗って、大都会の資本がどこにでもあるような土産物屋や飲食店を並べた。それらを短時間に「はしご」して、日帰りで去っていく客が増えた。目立つ看板が出て、客を誘う声が湯の坪街道に響く。「静けさ・緑・空間」は、失われかねない。そこで「暗黙のルール」を明文化したのが、景観計画だ。
繰り返された危機そばで聴いていた「大人たち」の会話
賑わいで恩恵を受けるところもあるから、反対の声も出た。でも、由布院をありきたりの温泉街にしたくない。その思いに、由布市も同調した。サファリパークやゴルフ場の開発など、子どものころから繰り返された「まち」の姿を壊しかねない危機に、父ら由布院の「大人たち」は「それは違う」「こうしたい」と声を上げた。地域で暮らす人々との対話も大事にした。