
「除籍を確認するまで卒業したと考えていた」
伊東市議会は7月7日、田久保氏に対する辞職勧告決議を全会一致で可決。また、地方自治法に基づく調査特別委員会(百条委員会)の設置を決めた。
この結果を受けて、同日午後7時半過ぎから記者会見した田久保氏は、
「きちんと辞任をさせていただいて、改めて市民の判断を仰ぐために再度、市長選挙に出馬をしたい」
と述べ、市長を辞職し、出直し選挙に出馬すると述べた。
また、東洋大学に確認して、「1992年3月31日」に除籍になっていたと明かし、市の広報に「東洋大学卒業」と記載されているのは事実と異なると改めて認めた。
「担当課で記事を作成するにあたりまして、私のほうに確認があり、卒業という記載をすることを認めておりました。それは除籍であるという事実を確認するまで、私が卒業をしていると考えていたからです」
市職員にも見せていた「卒業証書」
伊東市の幹部職員Aさんによれば、「広報いとう」に「東洋大学卒業」と印刷されるまでの経緯は内部のメモにまとめられているという。記者が入手したメモには次のように書かれている。
〈6/4 印刷会社に初稿データ送付(大学卒業からの記載)
市長に初稿をお見せし確認 中学、高校について追加
(4日か5日に課長・広報担当者で確認)
6/11 〇〇印刷に一稿データ送付〉
田久保氏が自ら「東洋大学卒業」の広報の原稿を確認したことが明記され、「課長・広報担当者が確認」したとある。これについてAさんはこう説明する。
「田久保市長は、事務方に東洋大学卒業という『卒業証書』のようなものを見せています。『課長、広報担当者で確認』というのはそのことです。当然、真正なものだと事務方は信じて、広報にも『東洋大学卒業』と記載しました。卒業していなかったというなら、市職員を騙すような資料を示していたことになり、問題でしょう」
「卒業証書」の入手は「記憶があいまい」
市議会議長や職員らに示していた「卒業証書」はなんだったのか。
これについて田久保氏は会見で、「卒業証書」をどのように入手したかは昔のことで「記憶があいまい」だと言い、
「卒業証書、卒業アルバム、在籍期間証明書、そして私の上申書を静岡地方検察庁へ提出することにいたしました。検察で捜査の対象として調べていただきます」
と述べ、会見で書類を示すことはなかった。
検察が捜査に乗り出すか、現時点ではわからない。市役所には「検察を使った田久保氏のパフォーマンス」と疑うなど、市民らから苦情や憤りの電話・メールが殺到しているそうだ。