このような仕組みについて「子育て支援税」という名称がふさわしいという意見も出ているほどで、将来的にはさらなる値上げの可能性も否定できないだろう。
「所帯を持つのが当たり前」という価値観
そもそも税制において独身者が損をしていることは事実といえる面がある。
独身者と既婚者で適用される所得控除が異なり、既婚者のほうが適用される所得控除が多いからだ。これが実質的に独身税の役割を果たしていると指摘する専門家もいる。そして、この税制の正当性を支えているのは、「所帯を持つのが当たり前」という価値観なのだ。
もともと日本では近代社会が始まった時点から、「国民皆婚」による家族形成が当然とされ、諸制度はそれを支えるつくりになっていた。例えば、今から40年以上前の1980年の生涯未婚率は、男性が2.60%、女性が4.45%という今では考えられない驚くべき数字であった(国立社会保障・人口問題研究所の国勢調査)。現代のようにライフスタイルが多様化している時代には馴染まないのだ。
前出の藤波は、「増税や社会保険料の引き上げによって子育て支援のための財源を確保しようとすれば、同じ若年層でも、子どもを持たない、あるいは子どもができない人たちにとって、負担増となる可能性がある」とし、あくまで賃金の引き上げなど経済環境の改善を図りながら、時間をかけて増税に対する理解を得る必要性を強調している。
月額で見れば大した金額ではないという人もいるかもしれない。だがちょっと待ってほしい。深刻な経済状況が続く中で、通信費やサブスクの見直しなど、家計負担を少しでも軽くしようと皆が皆躍起になっており、複数の小売店をはしごして20円でも30円でも安いものを探す人も多い。
2000円代で市場に放出された備蓄米の大行列は、「食べ物も満足に買えないほど貧しくなった日本」を象徴して余りある風景であった。
前回の記事でも述べたが、自民党の参院選公約である2万円の給付が、子ども・住民税非課税世帯に2万円を加算することによって、日々の労働に疲れ果て困窮している現役世代の反感を買うのと同様に、「負担」と「取り分」をめぐる不公平感を増すだけなのだ(石破政権「2万円バラまき」が現役世代舐めてるワケ)。