『チェット・ベイカー・シングス・アンド・プレイズ』チェット・ベイカー
『チェット・ベイカー・シングス・アンド・プレイズ』チェット・ベイカー
『フリーダム・ジャズ・ダンス ブートレグ・シリーズVol.5』マイルス・デイヴィス
『フリーダム・ジャズ・ダンス ブートレグ・シリーズVol.5』マイルス・デイヴィス

 このところ立て続けにジャズ映画が公開されます。まず11月26日公開のチェット・ベイカーの伝記的映画『ブルーに生まれ付いて』。そして12月23日からは、マイルス・デイヴィスを扱った『マイルス・アヘッド』。

 どちらも面白い作品ですが、作り方はまったく対照的。イーサン・ホークがチェットを演じる『ブルーに生まれ付いて』は、比較的史実に忠実な正統派ジャズ映画。対するドン・チードルが監督と主演を演じる『マイルス・アヘッド』は、かなり娯楽的に脚色されているのですね。何しろマイルスがピストルをぶっ放し続けるのですから!

 それにもかかわらず、示し合わせたわけでもないでしょうが、両作品共に主要なテーマは「薬と女とジャズ」なのですね。まあ、史実がそうなのだから当然と言えば当然なのですが、この暗合が興味深かった。

 私たちジャズファンがジャズ映画を見るとき、一番気になるのは役者がジャズマン本人らしいかどうかですよね。たとえば名監督クリント・イーストウッドの力作『バード』など、いい映画と認めつつ、どうしたってロバート・ウィティカーはパーカーには見えません。容貌がどうとかということではなく、ウィティカーの人柄からにじみ出る「いい人感」が、一癖も二癖もあるパーカーの凄みは表現出来ないのですね。

 そういう意味では、イーサン・ホークはチェットらしさをうまく演じています。おそらくブルース・ウエバーが監督したチェットのドキュメンタリー・フィルム『レッツ・ゲット・ロスト』などを観て、チェットのダメ人間さをじっくりと観察したのではないでしょうか。というか、監督のロバート・ハドローのジャズ理解が本質を突いていたことも、ホークの迫真の演技に反映されているのでしょう。

 正統派ジャズ映画というくくりでは、『ブルーに生まれ付いて』と『バード』は同じ系列に属すると言っていいと思いますが、役者がミュージシャンに成り切れているかどうかという点で、私は『ブルーに生まれ付いて』に軍配を上げたいですね。

 そこで、最初からそうした視点を投げているのではないかとも思える『マイルス・アヘッド』が、ある意味新鮮です。率直に言って、ドン・チードルはあまりマイルスに似ているとは思えないのですが、彼はその辺りをわかった上で、あえて「もしかしたらマイルスはこんな人間だったかもしれない」という新視点を提供しているのかも知れません。

 キーワードが作品中に現れます。マイルスを演じるチードルが「オレはふたご座だから二面性がある」と言っているのですね。このせりふは暗に、みんなが知っているマイルスとは違う顔を俺は映画で見せてやるぞ、という意味にもとれそうです。

 ですから熱心なジャズファンほど、最初は「マイルスはこんなじゃない」と思いつつ、「もしかしたら、一個人としてのマイルスにはこんな面もあるかも・・・」と思わせるのですね。というか、ドン・チードルは、マイルス自身も自覚はしていなかったかもしれないマイルスの「深層心理」みたいなのもの、たとえば白人に向かってピストルをぶっ放してみたいという欲望を、死んでしまったマイルスに成り代わって実現させてあげている、という解釈も出来そうです。

 『ブルーに生まれ付いて』は誰が見ても「いいジャズ映画」と絶賛するでしょうが、『マイルス・アヘッド』は年季の入ったジャズファンほど「抵抗」が強いかもしれません。ともあれ、今一番思うのは、惜しくも亡くなってしまった大のマイルス・フリーク、中山康樹さんがこの映画を見たら、いったい何と言っただろうと想像してみることです。これは本当にわからない。 [次回12/26(月)更新予定]