
中居正広の女性トラブルめぐる問題で、フジテレビと親会社のフジ・メディア・ホールディングスは、経営陣を刷新した。フジテレビの帝王・日枝久も、その座から退くことになった。日枝に辞任を促した人物とは──。AERA 2025年4月14日号より。
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フジテレビの帝王として37年の長きにわたって君臨してきた日枝久(87)の足元が、はっきりと揺らぎだしたのは1月27日のことであった。
その4日前の1月23日まで日枝は依然として意気軒高だった。辞意を申し出るフジ首脳に対し「戦わずして辞めるのか」と一喝している。フジサンケイグループの長老は、この当時のことを振り返って「日枝さんはまったく辞める気はなかったよ」と言った。
1月27日はフジがタレントの中居正広をめぐるスキャンダルについて、10時間を超える記者会見を開き、嘉納修治会長と港浩一社長がそろって辞任を表明した日である。その前日の26日、この当時の常勤取締役たちは、嘉納と港の二人の代表取締役が退任した後任として、かつて社長を務めたことのある遠藤龍之介副会長の代表取締役復帰案をまとめていた。ところが遠藤が自身の人事案を日枝に上申すると、日枝は遠藤の復帰を拒否した。
なぜなのか。フジの第三者委員会の弁護士の聴取に対し、日枝は「遠藤の人事に限らず、社長人事一般についてはさまざまな判断があるので、一言では言えない」と回答。真意を明かさなかった。
忠誠心200%の男が
遠藤は小説家の遠藤周作の長男。人柄が良く「龍ちゃん」と慕われてきた。ライブドアに急襲された2005年の危機時には広報部長として報道対応に当たった。フジではライブドア騒動で危機対応した者が出世街道を歩むようになるが、遠藤もその一人だった。なによりも「日枝さんに200%の忠誠心で接する男」と見られていた。
その遠藤が、1月20日ごろ、意を決して日枝に辞任を促した。「社内のいろいろな意見を聞いて、『これはもう日枝さんに辞めて頂くしかない』と。あの温厚な遠藤君が腹を決めて、首に鈴をつける役回りを引き受けてくれたんです」。そう日枝の側近だった首脳は振り返る。
日枝は激怒した。
「ここまで引き上げてやったのは誰なんだ。俺の恩を忘れたのか。こういう危機のときに盾になって守るのがおまえの役目だろう」。飼い犬に手を噛まれたと受け止めた日枝は、遠藤の代表取締役復帰案に首を縦に振るはずもなかった。
遠藤復帰が不発に終わると、フジを傘下に有する持ち株会社のフジ・メディア・ホールディングス(FMH)の金光修社長は、後任はアニメ部門を歩んできたFMH専務取締役の清水賢治しかいないと考え、清水をフジ新社長に擁立しようと社内調整に動き出した。金光は清水案を日枝に報告はしたものの、遠藤のように日枝の承認を得ることはしなかった。第三者委はこのときのことを「(日枝から)何らかの影響力の行使があったとは認定できなかった」と結論づけている。(朝日新聞記者・大鹿靖明)
※AERA 2025年4月14日号より抜粋