
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年3月31日号より。
* * *
1981年4月に野村證券へ入社して配属された香川県・高松支店で、2カ月目の金曜日だった。西へ約20キロの同県坂出市に住む医師と面談の約束が取れ、自宅を訪ねた。最寄りのバス停で降りると、雨が降っている。傘を持っていなかったが、約束の時間が迫っていたので、医師宅へ通じるあぜ道を急ぐ。
ところが、雨脚が一気に強まった。みると、あぜ道の脇にある肥料に使う糞尿を溜める場所の上に、雨水が入らないようにトタン板がかけてある。雨宿りには、そこしかない。糞尿の上をまたぐ形で雨がやむのを待ったが、頭上のトタン板に落ちる雨がカンカンと響く。5分か10分だけだったが、惨めな気持ちになって、こう思う。
「自分は、何でこんなことをやっているのか。もう会社を辞めて、東京へ戻ろう」
だが、客との約束は守らねばいけない。思い直して、雨に濡れながら医師宅へ向かう。すると、玄関が立派な石のたたきだった。ズボンも靴も泥だらけ。入ったら汚してしまうので、インターホンを鳴らして外で待っていたら、玄関を開けた医師の妻が「何やっているの、入りなさい」と言ってくれた。
医師の妻は、中へ入れてくれただけでなく、顔や服の濡れや汚れをふくタオルも渡してくれた。自然、「ああ、こういう人のために、役に立ちたいな」との思いが、湧いてくる。医師夫婦の投資に対する考えをよく聞いて、適した金融商品を説明すると、国債を買ってくれた。
汚い靴でも招き入れ分け隔てない相手にはっ、と胸に動いた
医師の妻は、帰る際に、傘も貸してくれた。患者にはもちろん、初めて会う証券マンにも分け隔てなくが正しい、と思っている。はっ、と胸に動くものを感じた。いまでも、思い出す。
「あのときにもし冷たくあしらわれて逆に『そんな汚い靴で入らないで』と言われていたら、たぶん、もう辞めて東京へ戻っていましたね。ところが、優しくしていただいて、辞めるという気持ちはなくなった」
永井浩二さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったとする体験だ。医師の妻の人との接し方から得たもので、簡単にはあきらめず、「誠意をもって相手と向き合い、正しいと思うことを貫く」という永井流が固まっていく。
香川県に支店は高松市だけ、同期入社は230人で、高松へはもう1人配属された。2人の最初の仕事は、まだ預かっている資産はないから、株式や国債の売買を始めてくれる客を探す「開拓」。各種の住所録をもとに電話をかけて面談の約束を取るか、初めての客の自宅を訪れる「飛び込み営業」だ。