スイッチが入ってからの集中力は両親が思わず心配してしまうほどだった。研究は父親の助言ももらい、時には議論も交えながら進めた

 安本さんが変わったのは、早稲田塾からの案内はがきを貴代さんが見つけてから。「総合型で大学へ」という文面にピンときた。家族で話を聞きに行くと耳を疑う言葉をかけられた。「慶應も筑波も目指せます」

 この言葉をきっかけに安本さんの姿勢は変わった。「目指せMARCH」から「慶應、筑波」へ。そこからは推薦入試に絞っての準備に振り切った。自分は何がアピールできるのか。関心がある分野は何か。

「ただ漠然と慶應に行けたらかっこいいなくらいに思っていたのが、高2の冬から春にかけて研究テーマを絞っていくうちに本当に学びたいことを学べるのは筑波大学だと思って覚悟を決めました」

 幼いころから読書を習慣づけられていたこともあり、言葉を研究テーマにした。アイドルオタクを自認し、オタク用語やネットスラングには敏感。若者言葉や流行語の変遷をたどりたいと考えた。オタク用語を品詞分解して仕分けし、エクセルで統計としてまとめ、一般用語との違いを定義づけるなど試行錯誤を重ねた。

「このときにはじめて『勉強したい』と思うようになりました。日本語学を解き明かしたいって」

 平日も土日も自習室や図書館にこもるようになり、帰宅は毎日夜10時。簡潔な文章力を磨くために朝日新聞の「天声人語」の書き写しも始め、そのノートは10冊を超えた。

 自己推薦資料となる論文を書き始めたのは出願の2か月前。『若者言葉のこれまでとこれから』と題して、約3万5千字の論文をまとめ上げた。

 芳勝さんは親にとっての大学受験をこう振り返った。

「娘の得手不得手は何か、どうしたらやる気が出るのかと、ひたすらに提案しては跳ね返されるトライ&エラーの繰り返しでした。レールを敷くのではなく、自転車のライトのような役割でしょうか。軌道修正するわけではなく、子が選択した道をその都度広く照らして、こういう道があると示してあげる。ハンドルを握っているのは本人ですから、明確な目標さえ固まれば、あとは突っ走ってくれると親は信じて見守るのみでした」

 安本さんは笑顔で話す。

「いわゆる試験の点数ではないところで評価してもらえる選択肢があるのは、勉強が好きではなかった私にはすごく助かりました。今は早く大学の図書館に行って日本語学の勉強がしたいです」

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