売り上げ目標も予算も、中期計画もない。他社と比べることも、考えたこともない。依頼されたメッキをすぐにやって納品し、何かあればそのときに考えるのが社風だ(撮影:狩野喜彦)

 県立足羽高校から福井大学工学部、大学院工学研究科へと進み、『源流』が流れ始める。

『源流Again』とは別の日に、89年4月からいた富士通川崎工場へもいった。JR武蔵中原駅前の歩道橋の上から目前の工場をみると、新しいビルになっていた。配属された半導体開発チームの建物は、ビルの向こう側にあった。

 国内外で半導体工場を増強していたころで、先輩の大半は応援に派遣され、残ったのは先輩1人と自分だけ。先輩に何をすればいいのか聞くと、「自分で考えて仕事をみつけろ」と言われた。いい教えだった。もっとよかったのは「半導体とはこういうものだ」と理解でき、ナノテクの解析を学んだ点だ。大学院の博士課程で半導体のメッキ装置が開発できたのも、そのおかげだ。修士課程に続いて『源流』の伏流水が増えていく。

 長女は山梨県にいて、長男は京都府の会社にいる。長男は大学を出る前に就職の相談にきたが、何か言うと後継者への「レール」になるといけないので、父の真似をして「自分で探せ。福井へ帰ってくるかどうかは、30歳まで働いてじっくり考えればいい」と答えた。胸の内では「早く帰ってきたらいいな」と思っているが、妻ともども「そろそろ福井へ帰ってこないか」と言ったことはない。

 でも、自分が父の会社へ入ったのは27歳。その年齢に近づく3代目が『源流』に合流してくる日は、遠くはなさそうだ。(ジャーナリスト・街風隆雄)

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