
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年3月10日号では、前号に引き続き清川メッキ工業・清川肇社長が登場し、「源流」である母校・福井大学などを訪れた。
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メッキは、気がつかないところで、いろいろ使われている。基本的な技術はそんなに大きく発展していないが、1ミクロン(1メートルの百万分の1)未満、つまりナノ(1ナノメートルは千分の1ミクロン)という超微細な金属粉にまで、メッキできるようになった。だから「ナノメッキ」とも呼ばれる。
薄膜に使う素材も進化し、極小化は省資源や省エネルギーの意味でも貢献度は大きい。その結果、用途は変わり、半導体を中心にスマホなど電子部品、自動車の自動運転装置、外科手術用の医療機器などへと広がる。
10年たてば、硬さがあるものだけでなく、ふにゃふにゃとしたものにもメッキされているだろう。父で清川メッキ工業の創業者の清川忠会長(84)は「水と空気はメッキできない」と言ったが、「水と空気以外はメッキできる」となる。すべて、基本的な技術からの積み重ねだ。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
昨年暮れ、福井市文京3丁目の母校・福井大学を、連載の企画で一緒に訪ねた。1983年4月から工学部の工業化学科で4年、大学院工学研究科の修士課程で2年、博士課程で3年と通算9年、ここで学んだ。とくに大学院ではメッキの研究を重ね、新しい装置の開発にも取り組んだ。清川肇さんがビジネスパーソンとしての『源流』が生まれた、と言う日々だ。
指導教官のお褒めを照れ臭かったのか下を向いて聴いた
「オリジナリティー」は、そのときに指導教官をしてくれた高島正之先生(現・客員教授)が院生に求めた言葉だ。その高島先生が、大学の産学官連携本部で再訪を待っていてくれた。出会いは86年4月、4年生で先生の無機化学の講義を聞き、先生の専門の電池の開発を学んだ。高島先生が振り返る。
「工業化学科は1学年が40人から50人。そのなかで清川さんは黒板にちょっと書いて『これ、どうや?』と指名して聞くと、ちゃんと答え、ちょっと抜けていた。基礎学力があって『この子は伸びていくな』と感じた」
清川さんは照れ臭いのか、ときどき下を向いて聴いていた。
電池はメッキと化学反応など似たものが多く、講義がのちに役立ったこともある。卒業を控えて父が紹介してくれた大阪府の電機メーカーへの就職は、社長後継への「レール」となるので断って、修士課程へ進んだ。もっと学びたいというより、進路を考える時間稼ぎだった。