さらにこの状況をややこしくするのは、いつまでに全てを新しい名字に変えなさいという明確なお達しが国からされていないこと。
マイナンバーは変えたけど、運転をしないペーパードライバーな私はいまだに免許証は旧姓のまま。かろうじて銀行は名義変更したけど、普段使ってないクレカは旧姓のまま。Amazonも旧姓でも届いてしまうから結局面倒でそのままだし、スマホだってつい最近まで旧姓で契約したままずっと使い続けていた。
何か支障が出たら、あるいは久々にそのサービスを使うことになったら、というタイミングで適宜名字変更の手続きをしているので、このままだと5年後にもまだ名字変更が終わってないアカウントとかありそう。

◎          ◎

そんな感じで1年程度ではまだまだ新しい名字には慣れず、愛着も持てていない。日本人と法律婚した日本人女性はみんなこんな感じなの?と思い、調べてたら、彼の名字がほしい(彼と結婚したい)と言っている女子を X(旧Twitter)で見かけた。日本には積極的に名字を変えたい女子もいるみたいだ。
私の周りは名字を変えたくない女友達が圧倒的に多く、夫婦別姓が導入されるまで待つと言って事実婚を選んだ友人もいる。

もしかしたら日本人女性のマジョリティは法律婚でも全然いいと思っているのかも。
でもどっちがマジョリティでも関係ない。大事なのは、マジョリティ​・​マイノリティに関わらず、平等に選ぶ選択肢があること。そしてどちらであっても生きやすい社会であること。

私はマジョリティでいることを選んだ。それは逃げだったとも言えるかもしれない。
でもそれは私のせいではなくて、日本社会のせいだったと言いたい。
投票に行って意思表示をしても、私に夫婦別姓という選択肢をくれなかったのは日本社会だったから。

「AERA dot.」鎌田倫子編集長から

選択とは、意思とはいったいどうやって形成されるのだろうという疑問を突き付けるエッセイでした。

法律婚を選んだのは「マジョリティーである」から、イコール社会で不利益になりにくいからとあけすけに語っています。海外での経験からそういう選択に至ったというのは説得力があります。一方で、「本当に自分は選んだのか?」との思いも心の中に芽生えている。

実は「自由意志」とは環境と制度に多分に影響を受けると、世の中に問いかけるような内容でした。
 

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