釜ケ崎で暮らす人たちが集まる「三角公園」前に立つ水野阿修羅さん。「この地域の憩いの場」だという
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「日本三大ドヤ街」の一つ、大阪市西成区の釜ケ崎。YouTubeなどで「治安が悪い」イメージがふりまかれる一方、近年は違法露店や覚醒剤の密売も激減。また関西空港や歓楽街ミナミへのアクセスが良いことから、インバウンド客が宿泊する観光拠点として注目されている。

【写真】鉄筋工の日雇い労働をしていた40代の頃の水野阿修羅さん

 釜ケ崎の「生き字引」と呼ばれる水野阿修羅さん(76)は、21歳の時に西成にたどりついた。【前編】では「暴力手配師」側との乱闘など、西成での半生を紹介した。【後編】では、地域史研究家でもある水野さんが、日本社会と釜ケ崎の関係について語る。発売中の書籍『西成DEEPインサイド』(朝日新聞出版)より一部抜粋・編集してお届けする。

【前編】<21歳から西成日雇い歴45年 「アシュラ」が見た街の本質は「日本の社会問題の縮図」>より続く

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 2011年の東日本大震災も大きな節目になった。復興や除染事業の求人が多くあり、釜ケ崎の労働者の多くが東北に向かった。

「日給や料理、宿舎の条件をあげて人手を集めるでしょう。どんなに待遇が良いかが口コミで広がり、『日雇いの相場』になっていった」

 労働者は盆や正月になると、各地の「飯場(はんば)」と呼ばれる工事現場の作業員の拠点施設から戻って情報交換する。「東北での待遇があっという間に広がり、飯場替えが広域で進んだ」。情報交換により労働者が戻ってこなくなるのを心配し、盆や正月も飯場を閉めない業者も出てきたという。

 釜ケ崎の人口が減り、福祉マンションの空室も目立ち始めた。目にしたのはマンション前の炊き出しだった。「マンションの多くは食事なしだけれど、炊き出しで人を集めて『うちに入居しないか』と呼び込む。ビール付きもあり、まさに『炊き出しバブル』だった」

13年からは、大阪市の「西成特区構想」が始まった。釜ケ崎を中心に治安や環境の改善が進み、水野さんも「体感治安の変化」を感じている。

「酔って野外で寝込んでいる人がポケットのお金を盗まれたり、路上でひったくりにあったりする被害は何度も見聞きしてきた。この10年でめっきり減ったなあ」

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「カマ以上におもろいところはない」