(写真左から)同じ舞台に立つボクB役の篠原悠伸と愛流、WキャストでボクBを演じる井之脇海、A役の上川周作と合同取材を受ける。愛流は最年少ながら笑いを交えた受け答えで場をなごませていた(写真/植田真紗美)

「俳優になりたい」と告げ 父からは一言「なめんな」

 ただ、まだ愛流に演技の道に進む決意は固まっていなかった。決心したのは高校時代だ。一芸に秀でた若者が集まるクラスで「何者かになっていく」同級生たちに刺激された。一時は大学に進学することも考えたが、「目の前に俳優しかなくて、それをつかまなかったらどこまでも墜ちていくような気がして、その職業をがむしゃらにつかんだ、というのが大きいです」

 父に「俳優になりたい」と伝え、返ってきたのは一言「なめんな」。そのときは「なめてねえよ」と返したが、いまその意味をかみしめている。

「たぶん僕が深く考えていないように見えたんだと思うんです。甘い世界じゃない、一筋縄ではいかないぞ、と、いまになって深い言葉だった、と思います」

 実際、父は知り合いに相談し、事務所の面談をセッティングしてくれていた。そして高校2年の1月から「俳優・窪塚愛流」が始動した。

 実はそのころ父とは喧嘩(けんか)も多かった。高校時代の愛流は「遅れてきた反抗期」。日常生活のなかで怒られるたび父に「東京に行かすぞ!」と言われ続けていた。7回目に言われたとき「じゃあ出てったるわ!」と勢いで返すと、翌朝、引っ越し業者の段ボールが部屋に積まれていた。「3日後に出ろ」と言われて、あっけなく追い出された。父子を知る所属事務所のマネジャーは言う。

「愛流は本当に大阪が好きなんです。友達もたくさんいるし。当時の洋介さんはそうした環境からの自立を促したんでしょうね」

 父からはアドバイスも受けている。ドラマ「ネメシス」で妹のために詐欺の受け子をしてしまう少年を演じたとき、悲しい感情を出す際に下を向いて芝居をした。放送を観た父に言われた。「逃げるな」。愛流は思い返して言う。

「カメラが僕のほうを向いてくれているのに、表情を隠すなんてもったいない。そういうときこそ逃げずに顔を上げて、表情で表現しろと。父親ながら『かっけえ……』って思いました。まあ向こうは酔っ払っていたんですけど(笑)」

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自分の演技は満足してない だからこそ乗り越えたい