
「ずっと一人で戦ってきたと思っていたが、一人ではないことに気づきました」
そう言葉を絞り出すと、会場は静まり返った。事情を知る関係者は涙を流して水谷さんの声に聞き入った。
水谷さんは中学2年生のときにドイツ留学2期生として日本を離れ、その後のアスリート生活の大半を海外で送った。
「ドイツ行きを選んだとき、友達も家族もすべて捨てて卓球に賭けようと決めました。人間関係という意味では誰とも関わらなくていいや、と思っていました。
ドイツに行く前も卓球だけやっていたので、仲のいい人もいなかったし。当時は『自分は孤独だなぁ』と思っていました」
インタビューの際、お願いして持参してもらった水谷さん監修のラケットは、グリップ(持ち手)がワインレッド×黒、ブレード(打球面)が鮮やかな赤。
「赤だと、年齢や性別に関係なくどなたも手に取りやすいかなと思って」
試合ではピンク系のユニフォームを着ることが多い。ピンクが好き?
「単純に縁起がいいからですね。久しぶりに優勝したときに着ていたのがピンク色で。メーカーさんから毎年、ピンクのユニフォームが送られてきていたんです。
他の男子選手があまり着ない色なので、じゃあ自分がずっと着ていこうと」
選手同士の食事もなし
引退後の水谷さん。競技からは退いたが、テレビやネットで頻繁に見かける。生活はどう変わったのか。
「ビジネスでもプライベートでも、仲のいい友達が増えました。飲みにも行きます。相手はテレビ局の人や番組で共演したタレントさんが多いですね」
卓球関係者とのお付き合いは?
「当然、つながっています。引退後は、食事に行く回数がめちゃくちゃ増えました」
そう語る水谷さんは心の底からうれしそうだ。現役時代、練習の合間に選手同士で食事くらいはしそうなものだが。
「個人競技ですから、一緒に食事には行かないですね。オリンピックに出場できるのはたった3人。ある意味、みんな敵なんですよ」
選手同士お互いに嫌っているわけでは決してないが、仲良く「おいしいね」と言い合える間柄にはなりにくいようだ。