驚いたことに、反射的に私は心の中でそう叫んだのだった。私自身が「この女の人、タイムスリップしちゃったのかな」と思っていたというのに、目の前の20代の若者たちがバカにするように吐いた「昭和かよ」という言葉に反応してしまったのである。昭和じゃないよ! 昭和に、こんな女の人はいなかったよ! なんだかそう訂正したいような気分になったのだった。

 そう、私の記憶ベースでしかない話。でも、昭和にこんな女の人はいなかった。強い北風が吹く12月、真昼の渋谷のスクランブル交差点で、薄汚れたトレーナー1枚でたばこを吸いながら歩く中年女性。そんな人は、いなかった。いや、いたかもしれない。いたかもしれないけど、もしいたとしたら、それは彼女のような感じじゃなかった。そもそも中年女性がたばこを吸うとしても、歩きたばこをしていなかった。歩きたばこはほぼほぼ男の専売特許だった。そもそもタバコは、今思うと信じられないが「かっこいい大人のもの」として考えられていた。そう、なんだか違う、違うのだ。

 そして少しハッとするような思いになる。疲れ果てた中年の女性が、やぶれかぶれな感じで、スクランブル交差点でタバコをふかしながら空を見上げるのって、もしかしたらとても令和的なことなのではないだろうか、と。4年前、都内の路上で、コロナ禍で職を失った60 代の女性が40代の男に撲殺された事件で味わった恐怖が、私の心の奥底にペタリと張り付いたままだ。私たちは、幸せな老後を、信じられなくなっている。私たちは、年を取るのが怖い。死ぬのが怖いのではなく、社会に大切にされないのが怖い。

 人々から冷たい視線を浴びながら、冬の街を薄着で歩きたばこする中年女性の後ろ姿に、私は勝手に自分のいろいろを投影したのかもしれない。今の私には家がある、今の私には家族がある、今の私には仕事がある、今の私には……でも、私はもしかしたらあなたかもしれない。同じ時代を生きてきた同じ性別の人の背中に、「昭和にはなかった」、少なくとも「子どもだった私には見えなかった」、社会から捨てられそうな女の人のやぶれかぶれを見たのだと思う。令和的なものとして、それが見えたのだと思う。

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2023年の性犯罪刑法改正は画期的だったが