さまざまな宮中行事や祭祀を、世代を超えて受け継いできた皇室。伝統を守り続けてきた皇室の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2024年1月1日に掲載した記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
【写真】貴重!愛子さまだけに許された鳳凰の意匠の「御地赤」をお召しの瞬間はこちら
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皇室では、正月や誕生日などの節目に、内親王だけが着ることができる「御地赤(おじあか)」という着物がある。御地赤は成長に合わせてつくられ、平成の時代には天皇陛下(現在の上皇さま)と美智子さまから、現在の天皇ご夫妻の長女愛子さま、秋篠宮家の眞子さま(小室眞子さん)と佳子さまに贈られた。そしてそれには、特別な思いが込められていた。
「愛子内親王の御地赤をつくってほしい」
昭和の時代から皇室に着物をつくり、納めてきた「染の聚楽」代表の高橋泰三さんに2004年夏、当時皇后だった美智子さまから、女官を通じて依頼があった。愛子さまが数えで5歳の元日を迎える、半年ほど前の時期だった。
「御地赤」は、天皇の直系の女性皇族である内親王が成年を迎えるまで、元日などの節目となる日に身につける宮中の伝統的な着物。上品な朱赤の絹地に、松や梅などのおめでたい柄の刺繍を金糸で施しているものだ。
元日に新年のあいさつのため、御地赤を着た愛子さまが車で皇居に入る様子が、写真におさめられたことがある。しかし、そのような御地赤を着た内親王方の姿が、メディアも含め、一般の人たちに公開されることはめったにない。
皇后は、内親王のために最高の御地赤を用意する。
泰三さんは愛子さまの御地赤の図案を作成し、美智子さまが目を通された。「この刺繍の色数を減らしてシンプルに」というふうに、要望が女官を通じて泰三さんに伝えられた。
後日のことだが泰三さんは、昭和の時代に香淳皇后が紀宮さま(黒田清子さん)のために作ったものと見られる御地赤の写真を目にする機会があった。牡丹や芍薬などの刺繍がちりばめられた、豪華なものだったという。