梅雨空の雲、今年はどっかりと腰をおろした様子で、想像を超えた降雨は各地で洪水や土砂崩れなどの被害をもたらしています。地盤の弱くなっている地域は特に、今後の天気予報を参考に是非早めの対策をしていただきたいと思います。
あつい雲の上に広がる宇宙では、太古からたゆみない営みが続いています。
果てしない宇宙を解明する鍵となった理論を予言した「アインシュタイン記念日」が今日なのです。
1905年、アインシュタインが相対性理論についての最初の論文「運動している物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出した日です。
アルベルト・アインシュタインは1921年度のノーベル物理学賞を受賞しています。
かなり難しいアインシュタインの理論ですが、現在の私たちの生活にも大いに役立っているようですよ。
今こそ、生きています! アインシュタイン博士の理論。
アインシュタイン博士が特殊相対性理論に続いて重力を取り入れた一般相対性理論を提唱してから100年になります。
簡単にいうと、重いものの周りでは時間と空間が歪みを生じ重力波として伝わっていくという理論です。
この重力波が今年の2月12日に、アメリカのレーザー干渉型重力観測装置「LIGO」により観測された、と発表されたのは記憶に新しいと思います。ブラックホール同士の合体から発生した重力波が世界で初めて観測されたのです。
これに遅れること約ひと月、この重力波を観測するために、岐阜県飛騨市の地下に建設された重力望遠鏡「KAGRA」が3月25日に試験運転を開始して、宇宙の成り立ちの解明を目指しています。
重力波の存在はアインシュタイン博士によって100年前に予言されました。
これまで見つかったのは間接的な証拠ばかりでしたが、直接重力波が検出されたのは今回が初めてのことです。
この成果により重力波を使って、これまで見ることのできなかった宇宙を調べることが可能になった、という点で天文学の扉が新たにひとつ開かれたといえるのではないしょうか。
アインシュタイン博士が提唱した相対性理論を理解するのは難しいのですが、それを元に基礎研究が進みその周辺技術が進歩していくことで、結びつき実用化されて、今や私たちの生活には、なくてはならない物ができています。
ひとつは人口衛星です。
秒速約8キロメートルの人工衛星は、速く動くと時間は遅くなるという特殊相対性理論の影響を受けています。
国際宇宙ステーションでは約1年間に数秒くらい時間が遅くなってしまうというわけです。
宇宙を飛行するISSは地上とは全く異なる特殊な環境、宇宙環境を利用して様々な実験を行っており、その成果は私達の暮らしを豊かにし、日本の産業の競争力を高めていくことにつながっています。
もうひとつは、毎日手にするスマホやカーナビにも搭載されているGPS機能です。
GPS衛星は高度約2万キロメートル上空を回っています。GPS衛星の場合は、地球から離れると時間は速くなる、という一般相対性理論の影響を受けています。1年間に数秒速くなるため、運用に際してはこの時間のズレを補正しているのです。
このように私たちに実感できることに利用されていることがわかると、詳しい内容は理解できなくても、アインシュタイン博士の理論はぐっと身近に感じられるのではないでしょうか。
アインシュタイン博士のウィットに富んだ言葉も聞いてみよう!
アインシュタインは数々の名言を残していることでも有名です。
そんな彼の言葉をいくつかあげてみました。
「天才とは努力する凡人のことである」
「大切なのは、疑問を持ち続けること」
「私は、先のことなど考えたことがありません。すぐにきてしまうのですから」
「わたしの母は、だいたいにおいていい性格の持ち主ですが、姑としては、まったくの悪魔です」
「人間にとって最も大切な努力は、自分の行動の中に道徳を追求していくことです」
「人間性について絶望してはいけません。なぜなら、私たちは人間なのですから」
「わたしは、一日100回は、自分に言い聞かせます。わたしの精神的ならびに物質的生活は、他者の労働の上に成り立っているということを」
「神の前では、われわれは平等に賢く、平等に愚かです」
「いいジョークは、何度も言わない方がいい」
読むだけで、頷いてしまうストレートな説得力とユーモアにあふれていると思いませんか。
<参考図書>
『アインシュタイン150の言葉』 ジェリー・メイヤー, ジョン P.ホームズ著/編集
ディスカヴァー・トゥエンティワン発行
ところで、アインシュタイン博士夫妻が日本を訪れていたのをご存知ですか?
アインシュタイン博士は妻エルザとともに大正11年(1922年)11月17日に神戸港に到着しました。
日本に向かう途上、上海あたりの船中でノーベル賞受賞の知らせを受けたそうです。
きっと日本訪問は楽しい日々になったことでしょう。
到着後は各地で盛大な歓迎を受けながら東京、仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡で計8回の講演が行われ、14,000名ほどの聴衆を集めたということです。
歓迎の人々が押しよせるあまり、ホテルへの移動もままならなかったとか。ノーベル賞を受賞した偉大な人に対する日本人の興味の大きさも、またすごかったことがわかりますね。
講演の合間には浅草、日光、松島、熱田、京都、奈良を観光したり、歌舞伎や能も鑑賞し、明治座では芝居も楽しまれたようです。
日本出航は門司港からでした。しかし船の都合で出航が延びたため、三井物産の社交倶楽部として前年に完成した、大正モダンあふれる真新しい三井倶楽部に、しばらく滞在することになりました。
関門海峡や下関を見物をして楽しまれた後に行われた送別会では、日本人による義太夫、謡曲や長唄、どじょうすくいなどの隠し芸がつぎつぎに登場しました。そのお礼として博士はバイオリンでアベマリアを演奏をしたという話が残っています。
12月29日、ひと月余りの滞在を終えて、アインシュタイン夫妻は門司港から帰国の途につきました。
日本を大いに楽しまれた様子は本当に嬉しいものです。
アインシュタイン博士夫妻が来日した折に宿泊した部屋が、現在も門司港にある旧三井倶楽部に再現されています。機会があれば見学してみたいですね。