日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年11月18日号では、前号に引き続きフジワラテクノアートの藤原恵子社長が登場し、「源流」である岡山市北区を訪れた。
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父が経営するしょうゆやみそをつくる醸造機械のメーカー、藤原醸機(現・フジワラテクノアート)で働く中卒の10代後半の男の子たちは、小学校へ入る前のころ、きょうだいが妹1人だった身には、まさに「お兄ちゃんたち」だった。
岡山市滝本町(現・岡山市北区富田町)の自宅近くにあった独身寮で暮らす「お兄ちゃんたち」に遊んでほしくて、毎朝6時前に寮へいって「起きて、自転車に乗せて」と揺り起こす。自転車の乗り方を教えてもらうときは、バランス感覚をつかませようと荷台を持って支えた手を離してしまう「厳しいお兄ちゃん」よりも、ずっと荷台を持っていてくれる「優しいお兄ちゃん」を選んだ。幼心のなせる業(わざ)だった。
父母は、そんな若い社員たちを仕事の後に自宅へ呼び、風呂を開放して食事を出した。1933年に祖父の藤原研翁氏が創業して以来の「社員は家族」。もう一つ、幼心を弾ませてくれた、会社の風土だった。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
自転車の乗り方を教わった路地は舗装道路へ変わった
9月、岡山市北区を、連載の企画で一緒に訪ねた。藤原恵子さんがビジネスパーソンとしての『源流』が生まれたとする、自宅と独身寮に「家族のような会社」があった地だ。自宅の跡は、駐車場になった。自転車の乗り方を教わった路地は、いま舗装道路に変わっている。
1951年5月に生まれ、父・章夫さん、母・貞子さんに祖父母、妹の6人家族。近くの独身寮があったところへ歩きながら、話し始めた。