アメリカでの救急の研修期間は4年間と3年間のところがあって、私がいたイエール大学病院は4年間だったので少しゆとりあるカリキュラムが組まれていた。2年目からは1年に1回、自分のやりたい学びを選択できる期間が1カ月間あり、同僚は研究活動やもっと研修を強化したい科を回ったりしたが、私はその期間に休暇を足して、国境なき医師団の派遣期間に充てた。

南スーダンで活動する中嶋さん=2014年(写真 国境なき医師団提供)

 研修後、米国救急専門医資格を取った後、米カリフォルニア州立大学サンディエゴ校でプレホスピタル・災害医療のトレーニングも修了し、2017年から米アトランタ・エモリー大学救急部で勤務している。その年、日本人として初めて米国プレホスピタル・災害医療専門医(EMS)の資格を取得。医師国家試験とは比較にならないぐらい難しい試験で、2年に1度しか試験がなく、2度目の挑戦でようやく合格できた。災害医療の知識は、国境なき医師団の活動にもつながる部分が多いと感じている。

現在の大学病院では、入職時に1年に1回は国境なき医師団の派遣に参加したいので1カ月は病院勤務がない月を保証してほしいと交渉して契約をした。前例はなかったが11カ月間に12カ月分の病院勤務のノルマをこなすことで快く了承してくれた。入職して7年だが職場の上司や同僚は私の国境なき医師団での活動を応援してくれている。

 国境なき医師団の海外派遣に参加するスタッフは実は1回参加したっきりでもう参加しなくなる人も多い。南スーダンで一緒に働いた小児科医もその一人だし、他にも何人も1回だけの派遣で終わってしまう人に出会ってきた。統計で言うと2回目の派遣に行く人員は1回目の約半分ぐらいだ。国境なき医師団は向き不向きはかなりあると思っている。

 国境なき医師団に参加するメンバーは、活動地での医療活動に従事する人はもちろん、現場の医療活動を日々支えている事務局スタッフも、情熱や個性が強い人が多いと思う。各地で紛争や災害、貧困など長期化・複雑化した国際情勢の困難の多い状況のなか、世界中の多様な、濃い国境なき医師団メンバーが一丸となって世界中の困っている人のために日々頑張っているのはすごいことだと思う。ゴールを達成する手段については意見が違ってもゴールは皆同じだ。私は今まで国境なき医師団で、かけがえのない経験、成長、やりがいしか感じたことがなく、運良く向いている方だったのだなと思う。

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中嶋優子(なかじま・ゆうこ)/東京都出身。東京都立国際高校、札幌医科大学卒業。日本と米国の医師免許を持つ。日本で麻酔科医として勤務の後2010年に渡米、救急医療の研修を開始。2014年に米国救急専門医取得、2017年には日本人として初めて米国プレホスピタル・災害医療専門医を取得。国境なき医師団には2009年に登録。2010年に初めての海外派遣でナイジェリアで活動し、その後もパキスタン、シリア、南スーダン、イエメン、シリア、イラクで活動。2023年11~12月にかけてパレスチナ自治区ガザ地区で活動した。2017年から米アトランタ・エモリー大学救急部の助教授を務め、24年9月からは准教授職に。

 
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