秦始皇帝の兵馬俑(写真:Zoonar/アフロ)
この記事の写真をすべて見る

 映画『キングダム大将軍の帰還』やドラマ「始皇帝 天下統一」など、始皇帝をモデルにした映像作品が人気を博している。秦国屈指のエリート将軍家といえば、王翦(おうせん)・王賁(おうほん)ら王家だ。

【写真】映画で「王騎」を演じた筋骨隆々の人気俳優はこちら

 映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、王翦(おうせん)・王賁(おうほん)らの活躍について言及している。

 新刊『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。

【『キングダム』よりも先の史実に触れています。ネタバレにご注意ください】

*  *  *

 王翦(おうせん)・王賁(おうほん)・王離(おうり)の三代将軍は、秦王始皇帝を支え続けた。始皇帝の天下統一の実現には、王氏と蒙氏一族の強力な支えがあった。

 蒙氏一族は秦昭王から三代の王・皇帝に仕えたが、王氏一族は秦王始皇帝と二世皇帝の二代に仕えた。二世皇帝の治世では蒙氏一族はすでに滅び、王氏一族の王離だけが残った。

 王翦の出身は都咸陽の東北、秦の内史(畿内)の頻陽県東郷で、純粋の秦人である。蒙氏が斉人であったのとは大きく異なる。司馬遷は、王翦を始皇帝も師として仰ぐほどの宿将であったという。

 王翦・王賁父子は二世皇帝のときには亡くなっていると言われているので、王翦は秦王嬴政(えいせい)が即位してから統一時まで少なくとも二六年は仕え、その後引退したのであろう。

 蒙驁(もうごう)は途中で戦死したため宿将には至らなかったので、宿将は秦将では王翦だけに付けられた尊称であろう。王翦は最後まで統一戦争の任務を全うし、老齢で引退(帰老)した。帰老とは、老齢で故郷に帰ることである。

 王氏一族のうち王賁は、秦王嬴政、蒙恬、李信と同世代である。老世代(王翦は秦王嬴政に老臣と自称している)の王翦は、若い李信と楚への出兵をめぐって競い合ったが、若い王賁は対燕戦では父王翦から戦場で直接経験を学び、同世代の李信と連携して遼東まで遠征して燕王を追い、二人は斉に入って滅亡させた。一方魏を滅ぼす戦闘では、単独で果敢に行動した。

次のページ
王氏一族と蒙氏一族の「功績の差」