作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は相次ぐ強盗事件と西田敏行さんの訃報で考えた、日本が失ったものについて。
【写真】「クリトリス」解禁、女性器の全体図「大映し」 松本人志のNHK性番組の緊迫感と到達点 北原みのり
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「あ、わたしだけど」
先日実家に電話したときのこと。電話に出た母にそう言って用件を伝えようとした瞬間、母はとても冷たい声で、「そうですか、では失礼します」とガチャッと切ったのだった。え? どうした? もう一度かけなおし、「なぜ切る? わたしよ」と言うと、今度は何も言わずにガチャンと切られた。ああついにこの時が来たのか……ぼけてしまったのか……泣きそうになりながら、念のために母のスマホにかけてみたら、今度は元気に出てくれた。「みのりちゃん? どうしたの?」
ほっとしながら、ハッとする。名前の表示されない固定電話に「わたしよ」とかかってきた電話に母は警戒したのだった。そうか、この国で高齢者になるとは、そういう警戒心を持たなければやっていけない世の中になったということなのだ。子どもたちも、親に気軽に「わたしよ」などと電話してはいけないのだ。
でも、今起きている現実は、そんな「オレオレ詐欺」への不安よりもずっと先に行ってしまったようだ。今日、私は両親に「みのりですが、戸締まりはどうしていますか?」と電話をした。不安でたまらない。私の両親が暮らす街(東京のベッドタウン)などで、高齢者が殴り殺され、傷つけられ、現金や貴重品が奪われる事件が続いている。
昨年1月に東京都狛江市で90歳の女性が暴行を受けて死亡した強盗致死事件は、今から思えば、高齢者をターゲットとする事件の質が本格的に変化した“始まり”だったのかもしれない。犯罪者とはいえ、まさか90歳の女性を殴り死なせるようなことをフツーはできないだろう……とぼんやりとみんなが信じていた一線を越えてしまった。
もちろん、高齢者を狙う犯罪はずいぶん前からあった。この10年くらいの間に、両親のもとには、住宅ローンに問題がありこのままでは家の所有権がなくなるとか、電話の料金で払われていないものがあり今すぐ払わないと訴えられるとか、あの手この手で「脅し」の連絡がくるという。