瞳みのるさん(撮影・イシバシトシハル)
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 1960年代後半のグループサウンズブームの時代に、ザ・タイガースドラマー「ピー」としてアイドル的人気を博した瞳みのるさん。グループ解散後、芸能界とは一切縁を絶って大学進学し、慶應義塾高校の教師に。2011年に沢田研二ら元メンバーの呼びかけで復帰した際は大きな注目を集めた。あれから13年を経た今も、年齢を感じさせない若々しさで西へ東へと仕事に明け暮れている。9月21日に地元・京都で開いた78歳記念のバースデーライブには全国から約300人のファンが集まり、瞳さんのトークや歌に釘付けなっていた。この日にリリースされた初アルバムのことやタイガースのメンバーらとの近況などについて聞いた。

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ーー9月のライブ「Ha・Pee・y Birthday Event 2024 in 京都」の日にリリースされたアルバムのタイトルは『おもい・いくさ・さとやま』。意外にもソロでは初のフルアルバムということですが。

 この年で初アルバムってなかなか珍しいかもね。別に「アルバムを作ろう」と意気込んだわけじゃないんだけど、曲がたまってきたもんで(笑)。アルバムはタイトルの通り、3つのテーマで構成されています。「おもい」はこれまでの人生で感じてきた思い。「いくさ」は今、ウクライナやパレスチナなど世界各地で起こっている戦争について。「さとやま」は故郷・京都のこと。

沢田とも出会ったダンス喫茶

ーー『鴨川高瀬河原町』は若いころのタイガースのみなさんの顔が浮かんでくるような曲ですね

 友人たちと夜な夜な集い、沢田とも出会った四条河原町のダンス喫茶「田園」、贔屓(ひいき)の旦那さんに連れられて夜遊びした祇園界隈、メンバーで何度となく行き来した鴨川沿い……いろんな青春の思い出を込めています。

ーー帰還事業で北朝鮮に行った同級生を歌った『イマジン・イムジン少年時代』は特にインパクトがありました

 小学生時代、キヨとフクチンという在日朝鮮人の友人がいました。よく一緒に遊んだのですが、5年生のときだったか帰還事業で北朝鮮に渡っていったんですね。行く前、とても晴れがましいような、うれしそうな顔をしていたのを覚えてるけど、連絡もつかなくなりそれきり。やがて報道で北朝鮮の惨状が伝わってきて、彼らはどうなってしまったんだろうと心を痛めました。もう生きてはいないかもしれない、でも会えるものならもう一度会いたい。そんな気持ちを込めて作った曲です。

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「沢田やタローと一緒にやれた思い出が形にできた」