東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
この記事の写真をすべて見る

 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

【写真特集】大物がズラリ!AERA表紙はこちら

フォトギャラリーで全ての写真を見る

*  *  *

 イタリアのベネチアに来ている。今年60回目を迎えた国際美術展「ベネチア・ビエンナーレ」を見るためだ。

 美術展は1895年に始まった。いまでは世界中から愛好家を集めている。主会場には30近い国のパビリオンが並び、日本館もある。各国代表が競いあうさまはあたかも五輪のようだ。

 今年のテーマは「どこでも外国人」というもの。緊張と排外主義が高まる国際社会へのメッセージだろう。出展作品には難民や移民、出稼ぎ労働者などを扱うものが目立つ。最優秀賞を獲得したオーストラリア館の展示も、アボリジニの作家が先住民の歴史と悲劇を扱ったもので、美術というより歴史博物館を連想させた。

 もうひとつ興味深いのはイスラエル館。作品はガラス越しに覗くことができるだけ。停戦実現まで公開しないと作家と展示責任者の言葉が扉に貼られている。現代美術が政治と無関係でいられないことを実感させられる光景だった。

 しかし同時に今回会場に足を運んで感じたのは、観光客の多さでもあった。意識の高い愛好家だけではない。多様な人々が美術展を楽しんでいる。彼らを対象にした派手な映像作品も多い。受賞からは外れているが、筆者はむしろそちらのほうに興味をもった。

 ベネチアは言わずとしれた世界的な観光地だ。住民5万人に対して年間2千万人の観光客が来るという。街中は観光客だらけで、オーバーツーリズムは深刻だ。しかし、本当はその現実こそが「どこでも外国人」(がいる)というテーマそのものなのではないか。

 現代美術はいまとても政治的になっている。それ自体は悪くない。しかしそれが一部業界に閉じられてしまえば結局は力を失う。その点で、ベネチアという観光地の力を逆手に取り、多数の「素人」を巻き込む運営は実にしたたかだ。移民や難民だけではない、観光客もまた他者なのだ。学者や批評家のほうがその現実についていけていないのかもしれない。

 文化を支えるのは素人の消費者だ。ノーベル文学賞をめぐる日本の狂騒をSNS越しに眺めながら、そんなことを考えた。

AERA 2024年10月28日号