というタイトルで新シリーズを始めようと思った理由は「ある1曲が完成するにあたって、絶対にその技術、手腕が必要とされるのだが、実際には縁の下の力持ちで目立たない存在」であるところの、アレンジャー、レコーディングエンジニア、スタジオミュージシャンといった「裏方さん」に分類される方々の、60年代から今に至る仕事を、きちんと丁寧に興味深く掘り下げた本が、続々と出版されているからである。私の部屋の一角にはそのような“必ずいつか読むのだが今は積ん読”本の山ができている。
「なぬ? 読んどらんの」
そりゃむちゃくちゃ今すぐ読みたいのだが、読みだすと止まらなくなって仕事に支障をきたすので我慢しているのです。(わがままなことを言うと、文庫や新書で出してほしかった。重い単行本はもう持ち歩かなくなってしまった、今日この頃)
そんな中で、ついうっかりむさぼり読んでしまったのが『ミシェル・ルグラン自伝』[著]ミシェル・ルグラン[共著]ステファン・ルルージュ[訳]高橋明子[監修]濱田高志(アルテスパブリッシング・刊)。いやあ、おもしろいのなんのって。一度読みだすとやめられません。この1冊は、音楽を志す者、音楽で生業をたてている者、音楽ファンの皆さんはもちろんのこと、音楽はまあ、毎日の生活になにげなくあればいいかな、音楽?ようわからん、の方々に至るまで、「全人類必読書」(大げさでなく)ではないでしょうか。確かに一人の音楽家の波瀾万丈な創作人生が書かれているのですが、これは実は“生きる喜びと知恵と情熱とせつなさ”について書かれた本です。税込3024円、飲み会1回欠席してでも買って読むべし! ぼむっ太鼓判!!
さて、「職人」とはどう定義すればいいのだろう? 少し長くなりますがルグランさんの言葉を引用します。「もっとも重要なのは、永遠に初心者のままでいられる能力である。人生のもっとも美しい瞬間のひとつは、なにかを発見する瞬間であり、なにかを学ぶ瞬間だ。熟練しすぎると、自然さが失われ、なにも怖れなくなる。“偉大なプロフェッショナル”と冷たく呼ばれるような人には、ぜったいになりたくない」(p258より)
これ一見すると、職人否定のように感じるかもしれないが、そうではない。実は、職人の必要絶対条件は、いついかなる場合でも「永遠の初心者」でいられる部分があるかどうか、ということだ。その道の大ベテランであれば、ある仕事で「もう、これすでに過去にやったことだ。繰り返しだ。飽きた」ということが多くなってくるだろうけど、それでもその仕事に「なにか新しいワクワク発見」を見つけて、冒険、実験できる人。「いついかなる場合も新鮮さを失うなよ」ということだろうが、ヒェ~、こりゃ正しく「言うは易く行うは難し」。おれ、あと10年たってもそんな気力、体力、知力を保てるのかいな!
書けば書くほど、読んだ気になってしまうと困るので、できるだけ「食欲Max」で放置して本屋に走るか、amaポチ(新しい略語。私作)してください。
エピソード1。典型的な“昔、その時を実際に生きている時はつらくて苦しく感じたけど、今じゃ、せつなさのまじる笑い話しだよなあエピソード”が“しょもないお調子者の、同業の作曲家のお父ちゃん”との間に、おもしろおかしく繰り広げられる第7章「父とのパス・ワーク」。笑って笑って、最後に泣かせます。ここはまるで落語を聞いているようだし、いつか三谷さんの芝居にもなりそうだ。
エピソード2。いまだに謎なハリウッド映画音楽の“分業システム”とか“暗黙の了解”については第16章「<風のささやき>~ハリウッドへのパスポート」にたいへん興味深く書かれている。
「編曲は自分でやりたいと答えると、質問者(コロンビア映画音楽部門責任者)はまるで異星人を見るような目で私を見つめた」(p185より)
作曲と編曲は違う人がやるのが当たり前なんだ!
「ハリウッドでは、映画音楽の作曲家はジャズ・クラブへの出演は認められていなかった。それは文書にされていたわけではないが、絶対に守らなくてはならなかった」(p193より)
は~、ふ~ん……な話しがてんこ盛り。
「結局は製作者側が譲歩して、ある地域の配給では私の音楽を使い、他の地域ではバーンスタインの音楽を使うことで決着した」(p239より)
じゃあ、完成版2バージョン作ったのか!の、このぶったまげエピソードも「永遠の初心者」として常に新たな試みを続けるルグランさんと、頭でっかち保守的なハリウッドプロデューサーとの戦いの一つ。負けるな、ムッシュルグラン!
ああ、じれったい。本文から引用ばかりしていても、らちがあかない。今すぐむさぼり読むべし。べしべし! [次回6/6(月)更新予定]