8月に亡くなった詩人の新川(しんかわ)和江さん。戦時中に詩作を始め、1983年、女性のための季刊詩誌「現代詩ラ・メール」を吉原幸子と共に創刊。女性詩人の活動を支援した(写真は2009年撮影)

 新鮮な空気が流れてきて、自分は自分だと胸を張りたい気持ちになった。自己決定権という言葉が浮かんだ。「虎に翼」がなかったら、こういうふうに言語化はできなかったと思う。

 実はこの詩を英訳した人がいる。上皇后美智子さまだ。「東京英詩朗読会」というサークルに参加し、そこで訳した詩の一つだった。そのことを渡邉允元侍従長の手記(文藝春秋2015年1月号)で知り、驚いた。美智子さまはまど・みちおさんの詩の英訳で世界的に知られている。だが、「ぞうさん」と「わたしを束ねないで」とはだいぶ距離がある。

女性皇族の生きづらさ

 これが美智子さまという「言葉の人」の奥深さ。そうとらえ、コラムに書いたこともある。その思いは今でも変わらない。だが同時にこの詩は、図らずも女性皇族の置かれた状況を浮かびあがらせている。その今日的意味を考えるべきではないだろうか、とも思う。

 渡邉さんの手記から9年、私たちは小室眞子さんという存在を知ってしまった。政治学者の原武史さんは眞子さんの渡米を「事実上の亡命」と評している。好きな人と結婚するという決断の代償が亡命だとしたら、女性皇族とはどれだけ生きづらい存在だろう。

 何度も書いているが、根本にあるのは皇室典範だ。女性皇族については「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とする以外に、規定がない。つまりは寿退社しか決められていない存在、「自己決定権」ははるか遠い。

 眞子さんの妹の佳子さまは、ジェンダー平等について積極的に発言している。23年9月、東北大学の「女子大生誕生110周年・文系女子大生誕生100周年記念式典」での挨拶は、ある種の到達点ではないかと思う。

佳子さま渾身のはて?

 日本の大学生に占める女性の割合が理工系で低いこと、数学や科学のリテラシーは男性に比べて低くないこと、それらを統計的に説明した上で「せっかくの高い能力が十分に生かされていないことは、残念です」と述べていた。

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新川和江さんの「ふーむの歌」