ここでおなじみの「はて?」が出た。きっかけは民法750条。〈夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する〉。司法試験を目指す甥(おい)が口にし、「星寅子」や娘の「星優未」について家族が語り合う。寅子が言った。
「はて? どうして私たちの名字が変わる前提なの?」
「虎に翼」が選択的夫婦別姓を取り扱う。その号砲に心が躍った。何を隠そう、私は事実婚歴33年だ。30歳で結婚した時に婚姻届を出さなかった。小さなきっかけはあったが、「そのうち別姓が選べるだろう」と軽く決めた。それが気づけば63歳。寅子は100%、私だった。
仕事の時だけ「佐田寅子」を名乗る道も、寅子は模索していた。現在、自民党の皆さまなどが推奨する「旧姓の通称使用」だから、これで丸く収まったらヤダなと思っていたら、そうならずホッとした。選択的夫婦別姓を取り巻く今の状況を巧みに織り込むことで、ことの「本質」を明かす。そんなつくりなのだ、「虎に翼」は。
寅子が悩んでいたのは、姓が変わることで、これまでの自分が消える気がするということだ。「星寅子」になれば、「佐田寅子」つまり「弁護士として生きた自分、裁判官として生きてきた自分、たくさん失敗をして前に進んだ自分」、その経歴、歴史が消える気がする、と言っていた。
寅子と航一は「夫婦のようなもの」になると決めた。事実婚の選択だ。明律大学の同期が集まり、裁判の形をとって祝福した。「同じ姓を名乗るか、それぞれの姓を名乗るかは、申立人の夫婦間で自由に決定するべきである」「それは憲法により保障された権利のはずである」
詩を美智子さまが英訳
そうだ、自分のことは自由に決める、名字だって、生き方だって。励まされたようで、少し泣けた。そこに新川さんの訃報があり、「わたしを束ねないで」を再読した。こう終わっていた。
〈わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩〉