悠仁親王については、赤坂御用地で育ったことが大きいと思います。私も一度だけ入ったことがありますが、周りと全然違います。隔絶された自然豊かなところですから、生物に興味を持つのも分かる気がします。

 現上皇は皇太子時代、学習院大学の政経学部(当時)に入学していますが、東大に行くという選択肢もあったようです。昭和天皇と宮内庁長官の田島道治が、皇太子の大学進学について話し合っている内容が『昭和天皇拝謁記』第1巻(岩波書店)にあります。

 昭和天皇は、「大学は南原総長の間は東大はいやだから、学習院の方がよいと思ふ。南原がやめた後なら東大でもよいが……」(1950年9月1日)と話しています。「南原」は東大総長だった南原繁のことで、退位論を唱えていたため天皇が嫌っていました。しかし天皇は、皇太子が東大に行くこと自体を否定していません。南原は51年に東大総長を退任していますので、もし皇太子が東大を受験したいと言ったら認めたでしょう。

 皇太子がエリザベス2世の戴冠式に出席すると卒業単位が足りなくなるという話が出た時に、昭和天皇は綺麗さっぱり学習院を退学した方が良いと強く主張し、結局皇太子は中退しています。大学で学んだことと、ライフワークとなるハゼの研究とは、全く結びつきませんでした。この点に関しては、学習院大学法学部政治学科に進学した秋篠宮も同様でした。

 秋篠宮はそれを反面教師にして、悠仁親王には大学で本当に学びたいことを学ばせたいと思っているのではないか。しかしたとえ悠仁親王が東大に落ちても、昭和天皇が服部広太郎に直接教わったように、一流の先生を家庭教師にして生物学を学ぶことは不可能でないと思います。

 そもそも天皇や皇族が大学まで学習院に通うようになったのは、新制学習院大学が開学した戦後になってからです。秋篠宮が2人の内親王の大学進学に際して学習院大学にこだわらなかったのは、こうした歴史を踏まえているからかもしれません。同じことは、悠仁親王についても当てはまると言えるでしょう。

(構成/ライター・本山謙二)

※※AERA 2024年9月9日号

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