1985年7月、福岡から上京する日の森口さん(画像=事務所提供)

5歳から12歳まで「歌合戦」に出場

 森口さんは5歳のとき、渡辺プロダクション主催の「ちびっこものまね紅白歌合戦」(テレビ朝日系)に出場し、小学6年生までほぼ毎年出場した。

「音楽番組で指揮者を務めていたスマイリー小原さん率いるバンドの生演奏をバックに歌ったんです。私は5歳から12歳まで、毎年ステージに立つことができて、生バンドの快感を知っちゃたんです。それが私のライブの原体験になっています。自分の出番がきたら、大好きな歌を歌って、お客さんに拍手をもらう。その体験は、今思いだしても血が騒ぐくらいです。その気持ち良さを知ってから、何が何でも歌手になると心に決めました」

 しかしその後は、オーディションに落ち続ける日々が続く。そんな森口さんがデビューするきっかけをつくったのは、当時、歌謡曲のヒットメーカーとして名をはせていた作曲家・平尾昌晃氏(享年79)だった。作曲家とペア組んで勝ち抜いていくNHKの歌番組「勝ち抜き歌謡天国」で平尾氏とペアを組んだことがきっかけで、森口さんは高校生の頃から平尾昌晃歌謡教室に通っていた。

「ちょうど、キングレコードのディレクターの方が『機動戦士Zガンダム』の主題歌を歌う人を探していたんです。私の歌声を聴いたそのディレクターの方が『声が良かったから』とスカウトしてくださったのです」

 暗闇でもがいていた森口さんに、一筋の光明が見えた瞬間だった。

 85年8月、森口さんはテレビアニメ「機動戦士Zガンダム」の主題歌「水の星へ愛をこめて」で、キングレコードからデビューした。高校2年生のときだった。本名は「花村博美」だが、平尾氏が「森口博子」という芸名をつけた。

「平尾先生は、姓名診断と字画数で、『森口博子』とつけたそうです。『この世界で大成する名前だからね』とおっしゃっていました。本当にありがたいことです」

 そして、デビューをきっかけに福岡市から上京し、地元の高校から東京の堀越学園に編入した。

 堀越学園の同級生には、荻野目洋子、井森美幸、武田久美子などがいた。芸能界の85年デビュー組の同期は本田美奈子.、中山美穂、斉藤由貴、南野陽子、井森美幸、松本典子、浅香唯ら、そうそうたるメンバーだった。おニャン子クラブが生まれたバラエティー番組「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)もこの年に始まった。

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「のりちゃん(松本典子)ばっかりずるい」