ラ・サール高校の改築した校舎の壁に、炎のような色を生かしたイラストがあった。校庭から毎日みた桜島がモチーフだと聞き、受験時に桜島の姿に感嘆したことを思い出す(撮影/山中蔵人)

「電車はみるだけでなく、乗るのも好き。小学校に入る前にどこへいこうとしたのかは分からないが、1人で乗ろうとしたらしい。それを車掌さんがみつけて、家へ連れ戻された。これは長く、母の語り種になった」

 自宅近くの草ヶ江小学校は、入学前からの遊び場。親に連れていってもらい、1人でもいった。「早く外へ」の始まりだ。

 道路から路地へ入り、奥にあった実家は、すでに売却した。高校のときから「外へ」と出っ放しで、父が亡くなった後、大学時代は夏休みや正月などに母の下へ帰省した。就職後も、ずっとそうした。数日間、何をするわけでもない。母に近況を少し話し、静かにそばにいた。夜は、母の近くで寝た。

銀行への公的資金完済へ父が残した「ぶれるな」の言葉

 母はずっと寂しかったに違いないが、一度も「福岡へ戻ってきてほしい」という素振りはみせない。妹が福岡にいたから、何かあれば世話をしてくれた。そんな状況で、経営の継続に公的資金を注入されて「実質国有化」とされた銀行を、自立させる厳しい責務に集中できたのかもしれない。

 帰省の最後の日、母は必ず、路地の奥から見送りに表の道へついてきた。小学校と逆の左へ折れ、突き当たりにある広いバス通りへ向かい、振り返ると、母が手を振っていた。バス通りに出て、念のために振り返ると、まだ振っている。ぐっ、と胸で何かが動き、「ありがたいな」としみじみ思う。手を振ってくれたのは、何回になったのだろう。最後は母に東京の家の近くにきてもらったが、亡くなるまでずっと博多弁で通していた。

 父の言葉のうち「ぶれるな」は、大きい。トップになればみんなそうだろうが、判断に迷うことは多いけど、基本へ返ってぶれないようにしないといけない。組織でトップが慌て、ぐらぐらしていると、みんながどこへ向かえばいいか困る。

 公的資金の注入は98年3月、バブル崩壊後の不良債権の膨張で金融危機が広がるなか、りそなグループになる前のあさひ銀行(旧・協和銀行と旧・埼玉銀行が合併)と大和銀行へ1千億円ずつで始まった。以来、追加注入が続き、2003年5月にはグループ全体で3兆1280億円に膨らんだ。

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