日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年8月26日号では、前号に引き続きりそなホールディングスの東和浩シニアアドバイザーが登場し、「源流」である故郷の福岡市中央区などを訪れた。
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故郷の福岡市で父母と妹と4人で暮らしたのは、鹿児島市のラ・サール高校へいって寮に入るまで約15年だけ。しかも、父は東京の上智大学経済学部へ進む直前に、52歳で亡くなった。
でも、15年間は、中身の濃い日々だった。父には、10代前半で九州を巡る一人旅へ出してもらい、自立心を試された。父がよく口にした「ぶれるな」「群れるな」の言葉は、ずっと胸にあり、りそなグループの存亡に関わる課題を乗り越えるとき、力になった。
10代で親と離れ1人暮らしで育んだ心の強さと自立心
母は、89歳までいてくれた。就職先も旧・埼玉銀行(現・りそなグループ)で、配属先は大阪や首都圏だったから、やはり一緒に過ごした月日は少ない。でも、小さいときに大好きだった路面電車に一緒に乗り、あちらこちらへ連れていって世界を広げてくれた。父ともども、息子がしたいようにさせてくれ、「外へ出よ」と異郷へ羽ばたくように背中を押された。
10代で親と離れて1人で暮らしたことが、社会人になって、どこにいても仕事を楽しめる心の強さや自立心を育てた。希望した海外勤務もメキシコ市とロンドンで2度、経験できた。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
6月初め、故郷の福岡市中央区を、連載の企画で一緒に訪ねた。毎年やってきて周囲の様子をみているが、実家前の道に立つと、東和浩さんがビジネスパーソンとしての『源流』とする父母と暮らした日々が甦る。
1957年4月に生まれ、父は県庁職員、母は銀行に勤めていたことがある専業主婦。子どものころ、自宅近くを走っていた路面電車をみて「大人になったら、運転手になりたい」と思っていた。実家があった地へ近づく前に、電車の停留所があったところを通ると、思い出す。