阿部詩の行動でこれだけ賛否両論が沸き起こったのは、マスコミ各社の扱い方に問題があったという指摘もある。号泣シーンはテレビで長時間にわたって何度も中継され、ニュース映像などでも繰り返し流れた。

「近年は(メディアが)アスリートの涙で安易に視聴者の感動を呼ぼうとしているようにも感じる。そういった手法が(視聴者から)見透かされているから、阿部選手の涙も同じように捉える人が多く、中には嫌悪感を持った人もいたのだろう」(メディア関連に詳しいフリーライター)

 五輪だけではなく、「涙」をアスリートのストーリーの1つとしてメディアは“重宝”している部分もある。プロ野球でも6月14日にヤクルト・奥川恭伸が980日ぶりの勝利を挙げた際に、お立ち台での「涙」は大きく報道された。

「中継側としても涙が売りになる部分は否定できない。視聴者も選手が泣きそうな展開は予想できるので、試合終了後もインタビューまで見続ける。視聴率を考えても助かる部分はあるとは思う」(在京テレビ局スポーツ担当)

「何かと世知辛い世の中、感動や涙を求めている人は多い。一昔前は対象がドキュメントやバラエティだったのがスポーツになった。国民の中には感動的な瞬間を求める視聴者もいて、それをメディアが過剰に報じてしまっているとも感じる」(メディア関連に詳しいフリーライター)

 スポーツでは選手の喜怒哀楽が表にでることで視聴者も感情移入できるというのもあるだろう。それが「涙」ならなおさらかもしれない。だが、あまりに露骨な場合は見ているものに嫌悪感が生じてしまうのはしょうがない。阿部詩の号泣に賛否両論があれだけ渦巻いたのも、メディアが「涙」を過剰にストーリー化しようとしたからかもしれない。