80年に人事課へ籍を移し、筑波大学の大学院へ留学した。学んだのは統計学とコンピュータによるデータ解析。修士号を得て、東京の調査一課へ戻る。監督官庁だった大蔵省銀行局保険部とやりとりする仕事で、5年いた。その後、大阪本社で広報室の課長代理、東京で社長秘書役を歴任し、冒頭の市場開発部次長兼広宣担当課長に就く。

■初の営業現場で簡潔な挨拶に女性職員が驚く

 99年3月、長岡市の結婚式場のホールで、壇上に立った。長岡支社長への着任日だ。目の前に、管内から集まった職員500人がいた。「このたび支社長に赴任した、筒井です。私は、現場のことは何も知りません。自分ひとりの力では、何もできません。皆さん、どうか、助けてください。よろしく、お願い致します」。挨拶はそれだけで終え、深々と頭を下げた。

 後で知ったが、会場を埋めた女性営業職員たちは驚いたらしい。それまでの支社長は着任挨拶で「支社長として何をやりたい」といった抱負を披露し、何でも知っているような顔で「私に任せてください。言う通りに動いてください」と長々と話したらしい。まさに正反対。女性たちは「今度の支社長、すごいね。私たち、やらなきゃ」と言ってくれた、という。

 計算ずくではない。会社は全国にいる5万5千人規模の女性営業職員が支え、日本一の生保であり続けている。なのに、支社など現場の経験がなかった。それに引け目を感じていたから出た言葉で、新しいことを正面から受け止める神戸の風土だ。

 2011年4月、社長に就任し、「真に最大・最優、信頼度抜群の生命保険会社に成る」との旗印を掲げた。その言葉選びに、その前の約6年間に経験した苦難が反映した。同業他社や損害保険業界で保険金の不払いが表面化したのが05年春。決算内容をよくみせるための不当な措置と判明し、生損保全社で点検が始まる。日本生命でも不払いがみつかり、そこからあらゆる業務を洗い直し、すべてを「お客の視点」で見直すプロジェクトを動かした。

 旗印で「なる」ではなく「成る」と漢字で表したのは「必ず成功させる」との強い思いからだ。言葉の力は、大きい。おろそかにしてはいけない。2018年4月に社長の座を譲り、会長となって監督する側になっても、こだわり続けている。(ジャーナリスト・街風隆雄)

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