車内販売員時代の茂木久美子さん。1日50万円を売り上げたときは、「意識が飛ぶくらい」の盛況ぶりで、ワゴンに載せる余裕すらなく、段ボールのまま配ったそう(画像=本人提供)
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 あんな出来事があった、こんな話題があった…と記事で振り返る「あのとき」。昨年の8月ごろに、多く読まれていた記事を紹介します(この記事は2023年8月27日に「AERA dot.」で掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。

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 JR東海は10月末で、東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」車内でのワゴン販売を中止する。利用者の減少や、静粛な車内環境を求める声などが背景にあり、今後はグリーン車利用者を対象に、モバイル端末で注文するシステムに変える。だが、利用者の中にはワゴン販売中止を惜しむ声も少なくない。茂木(もき)久美子さんは、かつて1日50万円(平均の5倍以上)を売り上げた“伝説の車内販売員”だった過去を持つ。茂木さんは、この時代の流れをどう受け止めるのか。販売員の仕事の裏側や、当時の華やかなエピソードを語ってもらった。
 

――茂木さんが車内販売員になったきっかけは何だったのでしょうか。

 もともとはCAに憧れていたんですけど、英語ができなかったので諦めました(笑)。そんななか、たまたま山形新幹線の車内販売員を募集する広告を見つけて。「翼がない私は陸で!」と切り替えて、アルバイトから始めました。

――販売員の1日の仕事の流れを教えてください。

 発車の1時間前に出勤して、3時間乗車して東京に着いたら、駅で荷物を補充して、今度は下りの新幹線に乗って山形に帰ってきます。朝は早いと5時半出勤、帰りは24時過ぎになることもあります。1日に3回乗車して東京に泊まるシフトもありました。

 お給料が歩合制だったころは特に、みんな必死でしたね。少しでも多く売ろうと、発車前から売りはじめていました。新幹線にある販売員用の部屋は、冷蔵庫と冷凍庫だけが置かれた、畳1畳もないようなスペース。椅子はなくて、立ちっぱなし歩きっぱなしの重労働だけど、当時はすごく人気の職業で活気があったんですよ。

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「弁当3個だって!」「こっちはバナナ2本!」