昔から「宙ぶらりん」が好きだった。家を引っ越した翌朝のどっちつかずの気分がいい。そこで生活が始まると、もう普通になる。
かつて妊娠期間中もそれだった。子どもを産んで身二つになるまで、妊婦は「宙ぶらりん」。10か月の待機期間、空を見ていた。そこから呼び出しの声が降ってくる気がした。
6年前の春3月、まさかと思いつつ婦人科に行くと、子宮体ガンが見つかった。おなかの底の方、弁当箱でいえばおかず入れの辺りをゴッソリ、子宮、卵巣、卵管とリンパの一部を取る。頸ガンと違って予後も良くない。すぐ切れば命は助かるというが、座って書く仕事を持つ身に、リンパ浮腫など後遺症の問題は深刻だ。
親友が奔走して、特殊なX線のガン治療の話を聞いてきた。主治医は子宮体ガンに放射線は効かないと言う。それを振り切って治療を変えることにした。
X線治療は滞在型である。一日数分の照射なので入院設備はない。大半の患者は近くの病院に入って照射だけに通うが、仕事をするつもりでウィークリーマンションを借りた。毎日、決まった時間に照射を受けに行く。
朝7時、どこかのキリスト教会の鐘がジャラジャラジャーン、と鳴って起きると、自炊の朝食をとり、放射線治療センターへ歩いて通う。火山で知られた観光地でもあり、市街から数キロに迫る活火山が噴いて、町は灰で煙っていた。
治療は数分間、見えない光と照射のブザーの音が降り注ぐ。わずかな線量だが帰りは放射線酔いが残った。だがマンションに帰ってもベッドが待っているだけで、ふらふらと途中の大型書店に入って行く。
ここにも「宙ぶらりん」があった。
しかしこの、どっちつかずの状態には、終わりの期限がない。治療期間は1か月だが、ガンの消滅を最終的に判定するのは、さらに3か月後だ。そしてガンが消えた後も、画像に映らない微小なガンが育ってくる恐れもある。「宙ぶらりん」はずっと続くのだ。
書店には即席の売り台が出て、震災と福島原発事故の本や雑誌が積まれ、人だかりができている。30キロ圏内の隣の市に原発があって、この町も他人事ではない。3.11の翌月である。そもそも私が最初に病院へ行ったのは3月15日で、大震災の4日後だった。
ガンの疑いに気も動転して帰ると、家のテレビに夜の波間を燃えて流れる家々や、原発の爆発するスローモーション映像が映っていた。福島原発で飛散した放射能と、治療用放射線の違いを知りたいと思う。放射線が怖いのではない。向こうで人間を苦しめているものが、もしやこちらでは利用されているのではないか。
大型書店の医学・科学コーナーには読書机が並んでいる。そこで本を読んだ。放射能は電気に喩えれば電源で、そこから出るのが放射線だ。体内を突き抜けていくとき、ガン細胞を破壊する。放射線の中でX線は軽く、電気のコンセントがあれば作ることができる。原発とは無縁である。
次にまた本を探し、前に医者が言ったように、放射線治療が本当に子宮体ガンに向かないのか調べる。地球創成期、オゾン層のない裸の地球は太陽から降り注ぐ放射線に曝された。生物は海の中で誕生し細々と水中に棲息した。陸上生物の哺乳類は、子宮の胎児を守るため放射線からのガードを固めたのだ。
「宙ぶらりん」の中で、治療帰りの学習時間に楽しみができた。そもそも「宙」という文字は昔の中国で過去と現在・未来を指したという。まさに放射線は原初の昔から現代・未来へ貫く光だった。
体重が7キロ落ちたとき、治療期間が終わった。自宅に戻ると、しばらく起き上がれなかったが、それでも3か月後の画像検査でガンは跡形もなく消えていた。以後は毎年の検査を経て、満5年がようやく過ぎた。
人体の生死二極を思うと、ガンは奇妙な病だ。悪さをするわけではない。ただ遺伝子のミスコピーで死ぬべき細胞が死なず、増殖を続け家主を死に至らしめる。家主が死ねばガンも生き残る途はない。自覚のない無理心中だ。
毎日、X線照射でガンの死を積み重ねた。暴走細胞を殺傷しながら過ごしたあの日々。生死一如。今振り返ると「宙ぶらりん」どころでなく、谷底の「宙吊り」だった。
真面目におかしい。
家に帰ったら書こうと思った。まだ治るかどうかわからないのに、これをとにかく決めていた。表題の、焼野(やけの)、という地名は私の過去の作品にも姿を変えて何度か出た。焼け爛れた火山の岩場は命が生まれ、還っていく原郷である。