秦始皇帝の兵馬俑(写真:Zoonar/アフロ)
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 映画『キングダム 大将軍の帰還』が盛り上がりを見せている。映画では、吉沢亮さん演じる秦王嬴政(えいせい)が王都で戦争の動向を見守っているが、史実では自ら隠密行動をし、苛烈な行為に及んだこともある。

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 映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、「並々ならぬ趙(ちょう)への復讐心が突き動かした、嬴政の隠密行動」について触れている。新刊『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。

【一部、『キングダム』にかかわる史実にも触れています。ネタバレにご注意ください】

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秦王の隠密行動

 始皇帝は秦王の時代、三回も戦場を訪れたことが『史記』秦始皇本紀に記されている。一般に、王自身が危険な戦場にまで足を運ぶことはない。何らかの意図があっての行動である。

 史料を見てみよう。

 始皇一三(前二三四)年「王之河南(王、河南に之く」

 始皇一九(前二二八)年「秦王之邯鄲、諸嘗與王生趙時母家有仇怨、皆坑之(秦王、邯鄲に之き、諸そ嘗て王の趙に生まれし時の母家と仇怨有らば、皆之を坑す)」

 始皇二三(前二二四)年「秦王游至郢陳(秦王游びて郢陳に至る)」

 という一連の記事である。

 始皇一三年の秦王の隠密行動は、秦の桓齮(かんき)将軍が趙の平陽を攻撃し、趙の将軍扈輒(こちょう)を殺し、その部隊十万を斬首したときである。河南は、秦の占領郡・三川郡の雒陽(らくよう)にある。桓齮将軍の背後で、前年に自殺した呂不韋を弔うために密かに雒陽を訪れたのではないかと考えられる。

 「之(ゆく)」という動詞は一般に使う表現であり、王の行動を特別に尊敬したものではない。隠密の行動であり、秦王に同行したのは、正規軍ではなく宦者の少数部隊であったと想像できる。

 始皇一九年は正規軍の王翦(おうせん)と羌瘣(きょうかい)が趙の地の東陽をことごとく平定し、趙王を捕らえたときのことである。秦王嬴政はかつて邯鄲に生まれ幼少期を過ごしたときに、母の家に匿われたが、当時自らを迫害した者を探し出して穴埋めにした。

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並々ならぬ趙への復讐心