新興国による追い上げやIT技術の浸透により、日本のモノ作りが岐路に立たされている。デジタル技術はマーケットに出た瞬間にコピーされ、海の向こうから同じような性能だがずっと廉価な製品がやってくる。じっくり腰を落ち着けて開発する余裕が、日の丸メーカーから消えつつある。
その中で、技術者たちも変化の荒波にもまれている。何年も研鑽して身に着けた技術は、デジタル化してコピーすることは不可能だ。
エンジニアとして成長するためには若いうちに何を学ぶべきか、どうすれば常に研究開発の第一線に残れるか、そして、10年後に生き残るためには何が必要か。エンジニアを志望する若者の悩みは尽きないはずだ。
本書は、大手電機メーカーのエンジニアとしてフラッシュメモリの開発に携わるなど、常に世界と渡り合いながら成果を上げてきた著者によるキャリアの手引書だ。いわば21世紀の理系技術志望者必読の書と言っていい。
氏は冒頭、自身のキャリアについて「配属先や上司に恵まれた自分は運がよかったに過ぎない」と謙遜してみせる。だが本書には、自らの手で“運”を切り開くためのエッセンスが満ちている。
若いうちにしっかりと一つの専門性を身に着けること、社外の人脈を大切にすること、自らを一つの商品とみなしてマーケティングを心がけることなど、本書に述べられているノウハウは多岐にわたる。
だが、もっとも本質的なことは、いくつになっても新しいことに目を向け、挑戦する柔軟性を保つことだろう。氏のもっとも重視するメッセージは、以下の一文に集約されていると筆者はみる。
「エンジニアも変わりましょう。生き残るために。そして、変わることを、楽しんでいきましょう」
筆者も仕事柄、しばしば「10年後に食いっぱぐれない仕事を教えてほしい」という質問をされる。でも、そんなものが本当にわかれば苦労はしない。わからないからこそ人は失業し、企業は倒産するのだ。
だから本当に必要なのは10年後の予言ごっこではなく、どんな変化に際しても対応し、成長できる柔軟性を維持することだろう。変わることを恐れた瞬間から人は成長しなくなり、そういう人間が多数派になった組織は必ず衰退するものだ。
リスクに対する氏のスタンスも実に興味深い。氏の教え子には、(今のところは)終身雇用の保証された大企業ではなくシリコンバレーのベンチャー企業に就職する人間も少なくないという。と聞くと「大企業正社員に新卒で入れるチャンスを捨てるなんてもったいない」と思う人もいるだろう(実は筆者も最初はそう思った)。
でも、氏によるとそれは全く逆だという。確かに米国では終身雇用は存在しないが、優秀なエンジニアのコミュニティに属し人脈を作れば、転職前提の社会なのでいくらでも次の仕事は見つけられる。
むしろ、雇用の流動性の低い国でなまじ安定した大組織に入ってしまう方が、これからの時代、リスクは高いのではないかというのが氏の意見だ。
会社から命じられた業務をこなし、横並びの初任給にも文句を言わないのは、将来出世して処遇も仕事の面白みも増すと期待できるからだ。これから何十年も先に、そうした未来が待っていると言い切れるエンジニアがどれだけいるだろう。
2000年前後に多くの電機メーカーが数千人単位で従業員をリストラした。その中には、会社から命じられた技術を10年単位で研鑽し続けた結果、「もうその技術は必要ないから」という理由で対象となったエンジニアが多く含まれていたことも付け加えておこう。
本書を最後まで読み進めた人は、そこである事実に気づくだろう。氏の言わんとするところは、要するに「理系は確たる技術というコアを育てつつ、マーケティングや経営など従来は文系素養とされていたものも身に着ければ最強の人材となれる」ということに行きつくのだが、もし少なくない数の理系出身者がそうした“進化”を遂げた場合、日本社会、いや、世界で日本型文系人材の居場所はあるのだろうか。
実は本書から最高の危機感を抱くのは(筆者も含めた)純文系人材であるべきで、そういう意味ではこっそり文系諸氏にもおススメしたい一冊である。