原爆の「生き証人」として今も現役で快走する路面電車が広島にある。復興のシンボルとして走り続ける「被爆電車」をレポートする。AERA 2024年7月15日号の記事より。
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広島に投下された原子爆弾で被害を受けた路面電車が、今も現役で広島の街を走っている。それが「被爆電車」だ。
「復興のシンボルです」
広島市に住む男性(45)は言う。
広島に路面電車が走り始めたのは1912(大正元)年11月、広島電気軌道が設立した。42年に広島電鉄に引き継がれると「広電」の愛称で市民から親しまれるようになった。
しかし、45年8月6日。一発の原子爆弾によって広島の街一面は焼き尽くされた。広電の多くの従業員も亡くなり、車両も123両の電車のうち108両が被災した。路線も市内線全線が運行不能となったが、生き残った社員らがすぐに復旧作業に取りかかった。原爆投下からわずか3日後の8月9日、一部区間で奇跡的に運行を再開した。
原爆で全てをなくした人も多く再開一番電車に乗務した車掌は、「お金のない人からは電車賃をもらわんでもええで」と言ったという。
路面電車の復活は広島市民を勇気づけ、いつしか電車は「被爆電車」と呼ばれるようになった。
そして今も修理を経て運行を続けているのが650形の651号、652号、653号の計3両だ。651号と652号は平日の朝ラッシュ時に人々の足として広島の町を走り、物言わぬとはいえ原爆の変わらぬ「生き証人」として活躍している。653号は貸し切り専用で、平和学習として夏に特別に運行する。
広電の広報・ブランド戦略室の小林久美子さんは言う。
「平和について考える一つのきっかけになってほしい」
今もピカピカで走っているのは、日々の手入れをしっかりしているからだという。
あの日、広島で何が起きたのか。被爆電車で思いを馳せたい。(編集部・野村昌二)
※AERA 2024年7月15日号