その後、1990年代のスーパーエースだったのが、中垣内祐一だ。1967年11月2日生まれ。福井県出身で、筑波大学在学中に日本代表に選ばれると、新日鐵・堺ブレイザーズに入団後に即、MVPやベスト6など賞を総なめ。194cmの身長以上に特筆すべきはそのジャンプ力で、全盛期には1m以上の跳躍で、最高到達点は346cmを誇った。世界選手権とW杯に3度ずつ出場した一方で、五輪は1992年のパルセロナ大会のみの出場に終わったが、「ガイチ」の愛称とともに全日本のスーパーエースとして多くの得点を奪い、コート上での圧倒的な存在感とスマートで端正なマスクで、男女問わずに高い人気を誇った。

「世界を知る日本のサムライ」と呼ばれた加藤陽一も印象深い。1976年8月12日生まれ。大分県出身で、大分工業高校時代から名を馳せ、筑波大学在学中に日本代表デビュー。力強いスパイクを武器に、朝日健太郎、西村晃一らがいた代表チームの中でエースとして活躍した。そして、シドニー五輪出場を逃した後の2002年に、世界最強リーグのイタリア・セリエAへ移籍すると、控えの役回りからチャンスを掴んで実力を見せつけてリーグ優勝に貢献し、オールスター戦で外国人選抜にも選ばれた。当時、日本人の男子アタッカーがセリエAで活躍した実績はなく、その後にギリシャやフランスでもプレー。現在の石川祐希や高橋藍に先駆けた海外挑戦のパイオニアとなった。

「左の大砲」と言えば、山本隆弘だ。1978年7月12日生まれ。鳥取県出身。日本体育大学からパナソニック・パンサーズに入団して頭角を現し、2000年に全日本入り。身長201cmの高さを誇り、サウスポーの利点を生かしながら強烈なバックアタックで得点を重ねる姿が印象的で、2003年のW杯ではベストスコア賞とMVPを獲得した。アテネ五輪の出場を逃した後に代表から外れる期間もあったが、2006年に代表復帰を果たすと、同年の世界選手権、そして実に日本が16年ぶりの五輪出場となった2008年の北京五輪最終予選でもエースとして活躍した。キャッチコピーは「世界が認めたニッポンの大砲」。長く日本男子バレーを背負った、紛れもないエースだった。

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